制作裏話

第19話 EF16の水タンクは無用の長物⁇ 2023.07.14


EF15のプロデュースついでに俗に福米型と呼ばれるEF16について少しお勉強して見ました。ご存知の様にEF15 1947年製の1次量産車(1~8日立製、16~23川車製、24~33三菱製)から1~8(日立製)、20~23(川車製)の12輌が1949年、上越線各機関区より福島機関区へ移籍、直流電化された福島~米沢間で使用されることになります。福米間は名にし負う豪雪地帯です。色々と豪雪地帯対応仕様に改造の上活躍を始めます。しかしEF15の敵は雪だけではなく33パーミルの急こう配で有名な板谷峠越えが待ち構えていました。福米専用機として製造された国鉄最後の新製大型蒸気機関車E10の挑戦も退けるほどです。それ以前は4110が長らく格闘していた路線です。で、下り勾配でブレーキシューを使いまくるわけです。その結果E10同様にブレーキシューで車輪のタイヤを擦りまくることになり発熱、車輪のタイヤ緩みが発生となります。これはいかんとデッキに水を入れたドラム缶を置いて水を撒いたとか、それでは全然足りないと屋上に大きな水タンクを乗っけてそこから各車輪に水をぶっかけて少しでも熱したタイヤを冷やそうとしました。それでも結果的にダメだったようです。それに夏は良いとして冬は水完全に凍結します。蒸気機関車の重油タンクの場合ヒーターが入っていて温めて流動性を増した重油を燃焼室に送りますが水はもしヒーターを入れても散水口までの間のパイプの中で凍結してにっちもさっちもいかなくなりますね。そこで登場したのが回正ブレーキ。戦前EF11での使用実績も有ります。この機構を搭載することで此処に晴れてEF16となりました。そこで疑問が。色々と調べても水はどうしたのかどこにも記述は有りません。勿論私の勉強不足かもしれませんが。で残された写真でよくよく調べたところ水タンクは空のまんま乗っかってるだけという結論に達しました。水タンク側面中央下部に水取り出し口の様なものが付いています。そしてランニングボードを挟んで真っすぐ車体の肩に先端を水タンクの方に曲げたパイプが車体から突き出ています。EF16に改造される前にはこの間をパイプかゴムホースで結んでいたと考えられます。でも証拠になる写真が見つかりません。で台車の方を観察してみると太い管が台車上部を走っていますが途中太いホースと分岐させる為の継ぎ手も見えます。この太いホースから真に車輪に向けて水をぶっかけていた様子がまざまざと想像できます。この部分は取り払わなかったようです。でも本当のところはいったいどうなんでしょうか⁈。
 
 

第18話 弱小個人営業模型店はつらいよ 2023.7.13

 
此処のところ政府日銀の相変わらずの逆噴射で円相場がた落ち、暗い日々を送っています。最近、円がウォンに対していきなり10%切り下がりメーカーのATM社共々顔が青くなりました。EF62の価格を発表価格で維持できるかどうか円相場の動きをかたずをのんで見守っている状況です。当店の製品はプロデュース期間が異様に長く例えば今回発売しましたワフ21000/22000にしましても3年かけてやっとこさひねり出したようなもの、物好きでやっているようなものでこれではとてもご飯は食べられません(パトロンは残念ながらいません)。最後の最後に儲けが余りにも少ないので少し価格を上げさせて貰いました、¥126.000。多くの模型ファンの方たちにお買い上げ頂こうと何時も奮戦しています。因みに他社のOJワフの価格を調べて見たところI社が1999年発売と24年前で¥98.000。K社が15~6年前の発売で¥100.000弱でした。ネ、今回のワフが手間暇時間を掛けた割に如何に儲からないかが良く判る数字です。円の価値下落、世界の物価上昇を考えると超バーゲンプライスです。大分以前の2009年にアートホビーでC57を製作中の事、アジン精巧社 趙 社長に1990年頃アジン精巧でFEF社向けに製作したD51の船積み価格を教えてもらったことが有ります。ムサシノモデルが設定したC57の小売価格¥610.000に対してその20年ほど前、真にバブルの頃発売されたFEF社のD51の船積み価格はC57の半分の値段でした。流石バブル時代は凄いなと思いました。例えてC57に¥1.200.000の小売価格を付けるようなものです。でも¥610.000のC57は高い高いと随分言われました。G59は原価がアップしたにもかかわらず¥620.000で価格設定しました。そしてC62です。全ての物の価格が既にC59の頃とは様変わりしていました。C62はプロデュースに5年かけています。アートホビーズには京都。大阪と2度に渡り取材で訪日してもらっています。図面、資料、写真と集められるものすべて集め膨大な資料群を精査、検討の上部品の作図、考証等などを行い何年もかけて作り上げた作品です。しかし折角良いものを作っても買ってもらわなければ何の意味も有りません。また直前にS社で60万円台後半にてC62が発売されています。本来価格設定をかなり抑えたC59と同じ形で小売価格を設定するとC62は¥840.000になります。しかしこれではお客様に買って頂くのは難しいと大分悩んだ末に¥720.000と云う価格を導き出しました。これ他社のC62の100倍以上のプロデュース時間を掛け、メーカーのアートホビーズもその5~6倍の製作時間をかけて作り上げたものです。でもこれも高いとクレームを随分もらいました。模型製作者のお給料が10数万ならOKです。でも世の中そういう訳にはまいりませんがそこの処のご理解をしていただくのは至難の技です。因みにその後C11の価格発表を行った後C62が¥720.000なのにC11が¥600.000近くもするのは納得できないという人もいました。模型だけにさにあらず、物作りに対する必要な物の価格、人の手間、下請けへの支払い、会社工場を経営していく上での諸々掛かる必要経費(光熱費、人件費、保険代等)メーカー側でもお金だけでやっていける仕事ではないのです。そこには情熱というものが大きくかかわって来ます。
 

第17話 NC盤を使って出来る事

先日ご紹介したEF62ですがATM社では屋上の実機におけるFRP製モニターの形状を正確に再現する為にプレスによる絞りではなくアルミをNC盤による切削加工をおこない製作しました。真鍮では重くなりすぎ裏側も削り込む必要が有りコストが大きく上昇するので軽量のアルミの無垢材を切削したとの話です。そこから話は35年前に戻ります。当時お客様より米原のEF58を製作したいとの事で車体の基礎的な組み立て加工のみで5輌注文を請ける事になりました。サンゴさんのキットを加工するよう指定されましたがその要求はEF58のフロントフェイスの縦横に入る稜線を隅柱部分に至るまでシャープに削り出すというものでした。サンゴさんのお面の研ぎ出しを始めましたがこれはカット面がカミソリの様に薄く加工中に研ぎ出しに耐えられない事が分かって来ました。又ある程度まで研ぎ出しを行ってくると失礼ながら五八の顔に全く似ていない事が露わになり加工続行中止となりました。そこでひかり模型さんと天賞堂さんのキットを比べどちらか良い方を選び一から加工することになりました。結果天賞堂さんのキットを加工することに決定しました。理由はお面の板厚が厚く加工に耐えられる事とやはり顔が一番似ているという結論にいたったからです。この時は3社のキットの各パーツ類を全部チェックしましたが一番驚いたのは皆寸法が違い特に屋上モニターの寸法等大きく皆バラバラな事で?でした。そして苦労の末、十字の稜線に隅柱そして平面まで元のプレス面を残さず研ぎ終わったお面を車体に取り付け乗務員ドアー、側面ベンチレータやモニター、ランニングボード等大体の組み付けが大体終わったところ、たまたま所要で来訪して見えたのが当時のプレスアイゼンバーンの松本謙一氏でした。当時1/87 12mmでEF58の製作発売に意欲を燃やしていた時でした。そうです、まだ皆凄く若かったのです。松謙さんに出来上がった5輌分のゴハチの車体を見て貰いました。そしてこの事がきっかけとなりゴハチのお顔は研がないといけないとなりプレスアイゼンバーンのEF58のお面はフクシマさんで研ぎ出し仕上げをされることになりました。その後天賞堂さんでも、ピノチオさんでも。しかし僅か数輌分を細心の注意を払って研ぎだすならまだしも、数百輌分の量産品のお面を研ぎだすのでは精度、均一性の問題で満足な品質管理が完全には行えません。ムサシノモデルではこの問題が解決しない限りEF58 プロジェクトに手を付ける事は出来ませんでした。解決方法をじっと待っていました。10数年前に先進社でOJ EF66を製作した時オデコと前面腰板部をミーリングで削り出して作りましたが1つ削り出すのに気が遠くなるような時間が掛かってこの手は使えないと思いました。その後ATM社朴社長にも色々と研究して貰っていました。そして先日出来上がってきたEF62の実機FRP製モニターです。これはと早速製法をATM社に問い合わせたところ3D-CADによるNC盤加工で有るとの返事です。当然真鍮加工も出来ると云う事で、それではゴハチのお面をこの製法で削り出し可能かと問うた処可能ですと。その時、瞬間的にEF58のプロジェクトはスタートしたと同じでした。頭の中で考えたことは3D-CADにより4種類程お面を作り分けると云う事。隅柱は大理石の柱のR面の様な仕上げでその傾斜面との境には前面からのエッジラインが綺麗に回り込んでくる。想像しただけでも良い気持ちになって来ます。大変ですが。EF58-61号機だけでも時代により何種類か作り分ける、高二タイプや下関、米原タイプ等と膨らむ夢想もここまでで止めておきます。進展が有るようでしたらその時はハッキリと告知させていただきます。

第16話 色の調合はつらいよ 2021.11.07

今現在、ATM社ではEF65の車体の半田付け組み立てが終了し青15号、クリームの組み合わせのタイプから塗装が進んでいます。なお、下廻りはモーターまで組み込んだ状態で完成しています。そこでムサシノモデルに残された最後の仕事が新しいカラースキームの新色の色見本を作る事。ものはEF60 19号機やすらぎ色、EF65 116 JR貨物試験塗色、EF65 123ゆうゆうサロンの登場時赤20号に使用する計6色です。早く作らねばと心で思いながら昔の様にサッサッと体と頭が動かず日々は刻々と過ぎていきます。ATM社の朴社長からは見本を作るので早く色見本を作ってと矢の催促となりこれはいよいよまずいと観念、何とか見本を完成させカラーチップを送ることが出来肩の荷を下せました。





EF65 19号機 やすらぎ色の車体色。

同じく赤と青の帯の色。

毎回色には大変苦労します。ちょうど20年前にはEH500の赤を作るのに納得できる色が出来るまで考えるのに数週間。丸3日をかけてラッカーを調合、納得の出来る色が完成しましたが、日立のベビコンコンプレッサーと岩田のスプレーガンで何回も調合を重ねては手板に吹き付け塗装をするので防塵マスクをしていてもやはり頭から鼻の孔まで汚れ、手はラッカーまみれになります。作業終了後が夜中で疲れて入浴中、手に付いたラッカーをゴシゴシ落としていたところほんの少しの弾みで右手中指の靭帯を切ってしまいました。直ぐに手術で靭帯を繋ぎましたが半年のリハビリを行いましたが指はもう真っすぐには戻りませんでした。しかしEH500の赤の再現度は各社製品の中で最高の出来です。今はもう吹付塗装は身体の健康に良くないので容器の中での調合となりました。それでも昨年はEF81のローズピンクと赤2号には物凄く苦労しました。実際の赤13号は濁った色で実物に塗装する分には良くても模型的には全く使い物になりませんでした。模型は見ていて美しく気持ちが良くならないといけません。ローズピンクは幾つか見本を作り丁度昨年の2月、EF81 81号機が土崎までEF65を引っ張って行くというので尾久までタクシーを走らせ夕日を浴びた81号機を確認。その後大宮へ先回り、3分停車でホームに入ってきた81号機に直に(少し浮かせて)手板チップを当て色のチェックをして実物が実際の印象よりかなり濃いピンクであったのを確認、模型的にアレンジし少し明るく仕上げ,自分の心中で納得できるまで作業をおこないました。ATM社の朴社長は赤2号の色作りの段階で何十種類と微妙に作り分けた赤を見続け眼を悪くしてしまいました。赤ばかり見ていると赤が茶に見えてきます。そして私も段々色作りが重荷になり億劫になって来る訳です。しかしムサシノモデルの製品の色は全て私が調合した見本を基にメーカーで塗料を調合して製品に塗装したものです。JR貨物の更新色のライトパープルは暖色系の色とすべく韓国の塗装工場で私が直接調合しました。塗色は最後の出来と見た目を左右するのでここはどうしても手を抜くことは出来ないところです。

今回はEF65 123号機の赤20号が大変難しい色でした。同じ赤20号と云ってもサロンエクスプレス東京の赤20号とは塗装をした工場が鷹取で色味が異なります。多くの写真から自分の中でイメージを作って行き3日程かけて完成させました。EF58 61号機のため色を小豆色に振った様な色と云えば良いのでしょうか。品のある良い色です。製品の完成が楽しみです。
 

第15話 最近の頭が痛い事 2021.06.23

ムサシノモデルが韓国で仕事をするために初めてソウルを訪問したのは1994年3月のことでした。明洞等は別にして模型メーカーの有る工場地帯は地元の板橋にも有った昭和30年代の日本の町工場街の様な風情で心情的に懐かしいような不思議な印象でした。高層ビルは漢江沿いに一棟、日本の企業の協力で建てられた保険会社のビルがソウルタワーと漢江の南北で向かい合って目立つ存在でした。ソウルオリンピックから6年、漢江に沿って高速道路が作られていましたが地方に伸びる高速道路はこれも日本の援助で作られたソウルと仁川を結ぶ仁川ハイウェイが一本あるのみでした。黄砂の影響か行きかう車は皆すごく汚れていて町も埃っぽい印象でした。ただ街はこれも日本の昭和30年代と同じように商店街も個人商店が多く人々で大変賑やかで活気に溢れていました。人々は生活がまだまだ上り坂で未来は明るく開けている、そんな感じがしました。今思うと日本の1960年代と同じ感じです。真鍮製鉄道模型製造では今では多くて10人そこそこの工房と呼べるものになっていますが当時は200人に及ぶ人員を抱えるサムホンサ、アジンの2大模型メーカーを筆頭に中小多くのメーカーがしのぎを削っていました。サンホンサとは全く関わりを持つことは有りませんでしたがアジンから真鍮モデルメーカーとして独立したATMのメンバーやアートホビーとはその時以来の付き合いになります。しかしこの27年の間に韓国の都市部は高層ビル、高層マンションだらけとなり高速道路が縦横に走り廻り街も日本と変わらずおしゃれになりましたが当時日本の3分の1であった韓国の平均給与は日本とほぼ変わらなくなりました。ソウルでコンビニ等に行くと物価の高さでは日本は韓国に抜かれています。不動産のバブルは際限なくサラリーマンがワンコインで昼食等全く無理な話です。しかしこれと似たような話は韓国に限った話ではなく中国、ASEANからアメリカ、ヨーロッパ諸国に至るまで同じようなものです。つまり日本だけ取り残されてしまったわけです。フランスやドイツ、オーストリア等に行っても日本人はある程度年配の方ばかりで東洋人で若い人は中国、韓国人ばかりでした。6年前にスロベニアのブレッド湖に行った時もそれまでは日本人観光客が一番多かったが数年前に韓国人観光客に逆転されたとの話でした。ハンガリーのブタペストのホテルの朝食時にとなりの人に話しかけたところ韓国の人であせってしまいました。中国人観光客のガキはビュッフェで並んだ食材を手でつまんでは戻す行為で相方の顰蹙をかっていました。イタリアのソレントでカプリ島に渡るため船着き場で我々日本のグループが船の到着を待っていたところ船の到着間際にやってきたローマからの韓国人カプリ島弾丸ツァーの面々はそのまま船に直行、乗り込んでしまい長い時間待っていた我々は唖然とするしかありませんでした。ミュジアムやオパーではあまり見かけたことはありませんが。まあコロナ禍以前の京都や大阪道頓堀、銀座通りの事を思い起こせば納得です。模型製品を作るうえで韓国が物価上昇で大変なら東南アジアに行けばいいじゃないかという国際感覚0のアホがいますがそれなら勉強がてらあなたが行ってらっしゃいです。ムサシノモデルの製品価格は20年前の倍近くになっています。しかし製品の手間のかけ方は2倍以上です。人件費、社会保険料、食費や光熱費から特に下請け工場からの部品や材料の高騰には開いた口が塞がらない程です。日本での模型部品の価格の推移を見れば同じようなものです。以前オハ32000の雨どいを国内で(韓国では作る技術が無いので)5キロ作ったところ金型25万、製品1キロ挽いてもらって5万円と計50万円掛かっています。短い期間の間にナハ22000の雨どいの時の2倍に跳ね上がりました。部品だけでなく工具も大分値上がりしています。小径ドリルの価格の高くなったことを思い起こしてください。ATMもアートホビーもムサシノモデルも相当努力して価格上昇に対抗しています。しかしやはり中には高い、高いとそればかりの人や、中には細かなあら捜しばかりで帰り際に捨て台詞を吐いていく人もいます。
先日一人のお客様がEF81の様な模型を日本で作ったらどうですか、なぜ作らないのですかとの質問を受けました。まあ工場を借りて、機械工具等を集めても、図面を書く人、加工する人、組み立てる人、塗装する人、その間に入り調整管理する人、下請け業者、全部いません。廃業したメーカーのシステムをそのまま吸収するのと訳が違います。一つの部品が足りないだけで作業は往々にしてストップします。昔国内でキットを製作していた経験からいって一言不可能です。大体EF81を国内で百に、いや万に一つ製作した場合45万円でもとても売れるものではないでしょう(そんなもの誰が買いますか?)。近い将来当店製品は当店で売るだけになると思います。価格を下げるにはそれしか無いからです。
それにしても、日本国内で細々と行っていた模型製造を権謀術により弾き飛ばされて、でも今はそのことに感謝です。

 
 

第14話 鉄道模型の迷信  2018.6.25

お客様と話をしていてかなり以前からよく話題になるものに次ぎの様な事柄が有ります。それは、「鉄道模型を作る場合実物の寸法をそのまま正確に縮小すると出来上がった模型はプロトタイプとは異なる印象のものになってしまう。」というもので大体皆さん確信をもってお話になります。つまりムサシノさんもその様に設計していますよネ、という会話です。この場合車体の屋根のRを指しておっしゃる方が多いのですが、その様な時私は「実際に電車を少し高い場所、例えばビルの5,6階からとか高台の上からとか模型を上から俯瞰する感じで見た時どう思われますか?」と返事をすることにしています。ほぼすべてのお客様は一瞬頭が混乱した後、それは正確に作るべきものだと気が付くようです。その後更に私は続けて話をします「鉄道模型では車体断面がつまり屋根Rの正確な再現が非常に重要で電気機関車や電車、気動車など顔の有る車輌ではその前頭部の表情を正確に再現することが不可能になります。」ここでお客様は例えば当店の製品を思い浮かべ納得した表情となります。更に言うと側面の窓やベンチレータ、明り取り窓などの見かけの位置をデフォルメしないと収まりが悪くなります。昔ならいざ知らず多くの資料、写真が手に入り、CADで設計をする時代です。それではメーカーとして生き残って行く事は甚だ難しいといわねばなりません。ただ自動車やミリタリー物に関しては門外漢として話を除外します。しかしプレス加工で屋根Rを正確に再現することは図面を描くのとはことなり面倒なものです。私は当然それを要求しますが。

第13話 OJ製品開発の難しさ  2017.7.7

現在ムサシノモデルではOJでC11,ED19を製作しています。ED19は号機別の図面の終了後ロストワックスの原型の修正、エッチングパターンの修正等全て終わり台車から組み立てに入っています。ワイヤーカット加工で切り抜かれた台車フレームは更にロストワックス部品やパイピング、ボルト植込みの穴あけ加工も完了、各部品の半田付けが始まっています。REALTECK金社長は砂箱の蓋のヒンジの形状と微妙なバランスが気に入らず砂箱の原型を全て自分で図面を書き直し作り直してしまいました。砂箱は号機で幾つかの形状の違いがあり全て作り直すと相当なコストが掛かります。ED19の床板下面にはトリプルエッチングでリベット等のディテールの表現がなされています。屋上ディテールに関しては以前製作したEF57同様号機ごとに徹底した考証を行いましたので今までになく正確なディテールが再現出来ています。懸案の6号機車体側面のウェスチングハウスオリジナルのベンチレータはプレス加工により実物同様の形状を再現致します。ED19と同じ頃に発売される予定でARTHOBBIESにて進行中のワ10000/12000の中から浜松工場配給代用車のワ12480と組み合わせることで飯田線の小貨物列車の再現に一層いろどりを添えてくれることになります。さて、このED19に洋白タイヤを使いより牽引力を増すことを考え材料費を調べました。韓国では洋白材は手に入れることが出来ないので日本で調達して航空便で送る事になります。EF57,8850も同じようにしましたが、OJ,ED19では材料代276000円、航空運賃200000円になりました。合計金額450000円を超えてしまいます。ただでさえOJは薄利少売で資金を長い期間寝かせ途轍もなくリスクが大きく、しかも小売価格を抑え込んだバーゲンプライスで値付けしているので残念ながら洋白タイヤは諦めることと致しました。真鍮製鉄道模型はよく言うところの滅びゆく伝統工芸です。この点はハッキリして言えます。それ故に今、毎回これが最後と思い最善のやり方で製品創りをしていますが今回はコスト上昇に負けてしまいました。しかし最近はこの様な事が多くなっています。もっともプラ製も青息吐息の様子でプロトタイプの選定も大分難しくなっています。話が脱線したのでOJの事に戻しますがC11は発売が1年以上遅れます。資金投入から発売までまる3年、こうなると殆ど博打を打っている様なもので全くの処、余程の物好きでしか出来ないのがOJの蒸気機関車モデルです。先に発売したC62等商売的には完全な失敗作でした。5年間多くの時間を費やしプロデュースを行い、莫大な経費を掛けたそれら諸々経費はまったく小売価格には上乗せしていません。いや出来ないと言うのが本当の処で然もC59と比べて利益率は極端に悪い。なぜかというとC62は余りにも手をかけすぎてしまい小売価格850000円(C59と同じ計算方法で。でもC59もバーゲンプライス)では売る事も買う事も難しいという事での苦渋の決断でした。当店のOJ蒸気機関車モデルもC11が最後になるかもしれません。相当悩むところですがC55は余りにも高い山に見えます。

第12話 昭和初期の貨車たちの価格設定について

16番編その1 2012.5.9
今から10年程以前に製作致しました大正期製造の貨車の一群ワム1、ワム3500、スム1、トム1、トム5000、トム16000を当時の小売価格でトム各形式を¥31,500、ワム1、スム1を¥34,650、ワム3500を¥35,700(各税込)で発売致しました。今回の昭和初期の貨車を製作する上で大きなネックとなったのが価格でした。今回のシリーズは前回のグループと比べ各段にグレードアップされた出来となっております。更にこの10年間のインフレ(日本だけがデフレ)が加わり私共としても一時は製作を断念するべきか大変悩むところでした。製作本数も以前より少なく各形式で部品の使い廻しがほとんど効かないと・・・・。それでなくても貨車は商売としても儲からないと、とにかく難題が山積みでした。又そこに辿りつくまでに前段階で古い貨車の資料探しが又大変だった訳で・・・・。正直今回のシリーズを前回と同じパターンで値付けすると¥40,000を越えてしまいます。メーカーとはかなり値段の交渉を行い何とか折り合いを付けてもです。私共の考え方として「いくらハイグレードの貨車モデルを作っても¥35,000を大きく越えてしまっては買って頂けない。買って頂けなければ製品の良さも理解して頂けない」と。何としてもお客様に納得して買って頂ける価格設定にしなければなりませんでした。結局今回は問屋さんへの卸しは行わない事とし更に当店の利殖を削っての価格設定となりました。ワ22000、ツ2500が税込¥36,225、レ2900が¥37,275です。最近は他メーカーで真鍮製貨車モデルの製品化が途絶えており、又かなり簡潔な製品でも¥30,000を越えていました。ムサシノモデルが考える徹底してここまでやりましたと云う製品は今でなければ出来ないとの信念で取り組みましたが貨車とは云えここまで作り込むと機関車1輌に負けないしみじみとした良さ、雰囲気を漂わせてくれます。そこのところが解って頂けるお客様の為にもこれからもガンバって貨車のモデルを製品化行おうと思います。

第11話 こんな事もうやってられっかい  2012.2.8

一昨年、昨年と製品の発売が一様に遅れる事となりお客様には大変ご不快を与えてしまったと反省の日々です。約10年前と比べ当店の製品のレベルが相当グレードアップしており更にバージョン数を沢山増やした事によるところも有りましたが、それとしてもOJ EF66、DD51、16番 DD51、EF57の遅れには本当にノイローゼになるのではと思った程でした。とにかく当初の予定通り送金していって8割方支払いが終了したところから1年平気のヘイさで製品の完成が遅れる訳ですから、こりゃ堪ったもんじぁーありません。それも一つや二つではなく三つ四つのプロジェクトが揃ってそうなる訳で真に生きた心地なんかあったもんじゃありません。遂に、こんな事やってられっかーと昨年9月にはとうとう堪忍袋の尾が切れてEF57を担当しているサムヒュン・トレインの社長と大喧嘩となりました。EF57はOJ キハ07を挟んで2010年2月から支払いを開始。この年の10月に発売との契約でしたがどうせ半年は遅れて2011年4月には船積できると踏んでいました。ところが蓋を開けてみると90%以上こちらで図面を書き直すわ、遅れて出来上がってきたサンプルが訳分からんレベルで怒り心頭のところを何とか1年持ちこたえて耐えに耐えていたのですが(そりゃ東武、西武電車の方が簡単だわなぁと)。1年遅れで2011年11月発売と決まっていたものを11月下旬完成と5回だか6回目の”遅れます” となりとうとうブチ切れちゃった訳です。FAX、電話での大ゲンカの末に互いにもうやめたー!、EF57でお終いという事となりました。大体この会社は当店で2000万以上の損失を出して作った会社ですがもう勝手にしゃがれ!後は野となれ山と・・・・・・・・・・・。そんなこんながあってから半月程経った頃、蒲田の模型ショウに出品しているメーカーにキットの部品を届けるついでに(と云うか、こっちがメインというか)アポ無しで(正確にはほんの5分前に電話があり)お店にニコニコしながら社長当人が現れました。まあ世の中こんなものです。かれこれ20年近く彼とは仕事をしているのですがまあ、こんなものです。その後デザイナーを一人入社させ今では一生懸命に私の要求に答えようとしています。と気を緩めてはいけません。とにかく日本でも韓国でもこの仕事はとんでもなく大変で無茶苦茶なものです(とにかくお金が掛かりますからね)。誰も手を抜いている訳ではなく、互いに真剣勝負で物を作るという事を優先していくとどうしてもこのような事が起こり得ます。機械だけではなくそのほとんどを人間の手作業(高い感性と技術力が必要)で作り上げる真鍮製鉄道模型ですからこんな事やってられるかと手を引いてしまうメーカーやインポーターが一社や二社ではないのが良く分かります。で件の57はさらにまたまた遅れて2月末から3月始めの船積みとなっております。ここは品質管理上で最も重要な最終組立とその調整に入っており、心静かに仕事をしてもらわなければならない訳で私も心安らかに製品が出来てくるのを待っているところです。大変申し訳ございません。

第10話 ED16、EF15、16迷走曲 2006.6.7

 大変困難な状況の中、2年程の長いトンネルを抜けて2006年6月下旬のEF55の発売、EF10、11のサンプル完成そして今年10月の発売予定と旧型電関シリーズも予定の軌道に戻りつつあります。
昨年3月既に基本図面が完成していたED16がこれに続きます。全5ヴァージョンの展開ですがその内容はEF10,11発売の頃に発表致します。ここ数年、各社の特徴が良く表わされたED16が16番で発売されましたが当社製品がとう尾を飾るであろうと考えられます。本来ED17に続いて製作する筈で2002年春に取材、資料共に揃ったものの当初の予定を変更しF級機を手掛けることとなりEF53、55、10、11と先を越されてしまいました。当店にとってED16は特別に愛着のあるプロトタイプ故お気軽に製作に掛かる事には何か躊躇するものがありました。しかし今は心機一転F級旧型電関の製作で得た技法をフルに使う事でムサシノモデルのED16を製作する事が楽しく感じられるようになりした。そして次は大本命の一つEF57、56からEF15、16といよいよ本丸に一歩一歩近づきつつあります。

 EF15、16は実は今から4年前に亜進精工にてサンプルが完成しておりました。その2002年の蒲田鉄道模型ショウでサンプルを出展致しましたが当店も亜進社スタッフも大変不本意な旧態依然としたモデルでした。これをゼロから設計し直し再チャレンジする事になっていたのですが丁度例の”EF66話し合いすっ呆け図面無断使用事件”が起こり当店DF50オリジナル図面の一切の流用禁止(それでもその図面を使わせろと大変ふざけた状況の中、もちろん使わせませんでしたが結果は・・・・・ご覧の通り)。その後EF15のインジェクション・モデルの企画が浮上しているとの状況の中、EF15は当店と亜進社で話し合った結果、製作を取り止める事と致しました。そしてEF15と並行して親和貿易で進められていたEF53で当店F級旧型電関シリーズのスタイルを確立。最近の他社によるインジェクションEF15の登場と、本当に楽しい中、心機一転再スタート致します。乞うご期待下さい。