強者 EF15

当店では過去省形電気機関車と呼ばれる戦前生まれの電気機関車を多く製作発売してまいりました。ED16、EF10 1、2、4次車、EF11 1次車、EF55、EF56 1次車、EF57 2~等です。そして今ではこれらの模型製品の規範となっています。
そこでEF15です。
今まで製作してきた各形式は実機の数が数輌から十数輌と云うものでした。ご存知の様に41輌あるEF10は車体も台車も4タイプ有りその上に上下の組み合わせまでが変わります。動力関係が同一ながら形態的には全く別形式の機関車と云ってよいものです。その様なわけでEF15です。



EF16に改造された初期グループは模型メーカーにとっては正に百鬼夜行と呼べるものです(もちろんそこがお面白い訳で)。とてもとてもいきなり手を付けられるような輩共では有りません、まったく。またEF15には鬼のようなサイトが有ります。下手にEF15に手を出そうものなら十字砲火を浴びかねません。








そこでここは標準的スタイルの46号機以降から各機関区より2~5ナンバー程を選び番号だけを変えてお茶を濁そうと云う事でなくちゃんと1輌1輌作り分けて行こうと云う事になります。何と言ってもこいつら困ったことにどこかしら違いが有り1輌として同形態が有りません。30タイプの作り分けで30ナンバーしか再現出来ないではあ~りませんか。模型化設計図面を作図する手間は単純に30倍にはなりません。しかし1タイプを30タイプに増やして作ると云う事は製作中の管理に要する手間が30倍になると云う単純なものでは有りません。50倍にも60倍にもなります。並大抵な管理能力ではどうにもなりません。

そしてそこは他の形式の製作で皆様お判りの様にATM社の管理能力の独壇場です。さあどうしよう、どの機番を製作しようとズーッと足踏みしています。後はこっちサイドの問題。早く作らないと知ってる人があっちの世界に行っちゃいそうです、私も含め。EF62の後にEF15と行きたいのですがもう一度、さあどうする。「高二でのEF62とEF15の並びを夢想する」。当然EF15はEF58への関門となります。「高二でのEF58とEF62とEF15の並びを夢想する」。ああもう少し長生きしなくっちゃ。
 
 







と云う事で幾つかの案を出してみました。


 
★A案
A長岡(33両)
長岡のEF15形は上越線というわが国の豪雪地帯を走破するという重要な使命から、その投入時から耐寒耐雪装置(スノウプロウ、汽笛カバー、砂撒き感の凍結防止装置)をもつ形態となっており高崎第二区とともに耐寒形EF15形のプロトタイプを形作っている。
1)EF15 63号機 三菱電機・新三菱重工 1971~1979年(1979
年廃車)                                                  
  4次形、寒地型(汽笛カバー長岡タイプ、スノウプラウ)、前燈小、側面7枚窓  
(中央部5枚)、先輪後位バネ吊り三菱タイプ(バネ吊りリンクが丸棒)、前面窓黒 Hゴム、デフロスタ装備、正面扉横手すり、正面ナンバープレート、PS14。
 
2)EF15 77号機 日立 1971~1980年(1980年廃車)
  7次形、寒地型(汽笛カバー長岡タイプ、スノウプラウ)、前燈小、側面7枚窓    
(中央部5枚)、前面窓黒Hゴム、デフロスタ装備、正面扉横手すり、正面ナンバープレート左寄り、PS14。
 
3)EF15 129号機 川崎車輌・川崎重工 1958~1982年(1982年廃車)
  11次形、寒地型(汽笛カバー高崎の大形タイプ、スノウプラウ)、前燈小、側面7枚窓(中央部5枚)、前面窓黒Hゴム、デフロスタ装備、正面扉横手すり、正面ナンバープレート上寄り、PS14。
 
4)EF15143号機 東洋電機・汽車会社 1979~1982年頃(1982年廃車)
 12次形、寒地型(汽笛カバー東新潟タイプ、スノウプラウ)、前燈大?、側面7枚窓(中央部5枚)、前面黒Hゴム、正面扉(FRP製)、デフロスタ装備、正面扉横手すり、切り抜きナンバー式、PS15。

5)EF15150号機 東芝 1957~1982年、(1982年廃車)
  13次形、寒地型(汽笛カバー東新潟タイプ、スノウプラウ)、前燈大?、側面7枚窓(中央部5枚)、前面黒Hゴム、正面扉(FRP製)、デフロスタ装備、正面扉横手すり、切り抜きナンバー式、PS15。
 
B宇都宮(6両)
宇都宮運転所のEF15形は北関東地区ではあるが降雪がほとんどないことから、形態上は暖地向けのスタイルをしている。運用範囲は宇都宮~日光間、黒磯~宇都宮~大宮(操)~新鶴見(操)となっている。宇都宮に配属されていたのは6輌と少ないものでした。

6)EF15 78号機 日立 1968~1979年(1979年廃車)
7次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、側面7枚窓(中央部5枚)、前燈取付座2枚の帯板、原形前面窓、原形ワイパー、正面ナンバープレート左寄り、連結器解放テコ幅広、PS14。
 
7)EF15 188号機 三菱 1969~1979年、79年立川転属(83年廃車)
最終グループ。暖地型(汽笛カバー無、排障器)、側面7枚窓(中央部3枚黒Hゴム)、先輪後位バネ吊り三菱だが通常タイプ、前面窓白Hゴム。ナンバー切り抜き文字、PS15。
 
C高崎第二機関区(41両)
上越線のほぼ中央に位置する高崎第二機関区には多くのEF15形が配置され活躍を続け、41両と新鶴見の46両に次ぐ大所帯となっている。運用は長岡~高崎、高崎~大宮(操)~新鶴見(操)、大宮(操)~宇都宮~黒磯と、ほぼ北関東の主要幹線を走破するほか、EF12形の代機として両毛線に入る事もある。ここのEF15形の特徴は東新潟・長岡と同じく耐寒装備形で、スノウプロウ、汽笛カバー、デフロスタを標準装備のほか、汽笛カバーはカマボコ形が多いがバラエティーに富んでいる。高崎第二機関区には初期のグループでPS14形パンタグラフを装備して登場したと思われるものでPS15形に振り替えられているカマが2両(38,70)おり、異彩を放っている。

8)EF15 39号機 三菱電機・中日本重工 1977~1979年(1979 
年廃車)
3次形。寒地型(小型汽笛カバー、スノウプラウ)、側面7枚窓(中央部5枚)、通風口の機関助士側の取付位置が標準より右寄り、すぐ横にある正面昇降段の最下段がそれを避けて台形状の鋼板になっています。これは三菱製のこのグループのみの特徴です。前面窓黒Hゴム、デフロスタ装備、正面ナンバープレート、PS14。

9)EF15 59号機 三菱 1971~1980年(1980年廃車)
5次形。寒地型(汽笛カバー高崎の大形タイプ、スノウプラウ)、側面7枚窓(中央部5枚)。本機は三菱製ですがつらら切りは日立製と同じタイプ(全体に丸っこい)ですが小形の様です。先輪後位バネ吊り三菱タイプ(バネ吊りリンクが丸棒)、正面ナンバープレート、PS14。
 
10)EF15 70号機 東芝 1975~1979年(1979年廃車)
5次形。寒地型(汽笛カバー高崎の大形タイプ、スノウプラウ)、側面7枚窓(中央部5枚)、避雷器の取付位置が前燈右側、前面窓黒Hゴム、デフロスタ装備、正面ナンバープレート、PS15(1965年1月振替)。

11)EF15 124号機 東芝 1956~1982年(1982年廃車)
10次形。寒地型(汽笛カバー上越タイプの大形の物ですが、先端が斜め、スノウプラウ)。前燈大、側面7枚窓(中央部5枚)、通風口の幅が広い?、前面窓黒Hゴム、デフロスタ装備、正面ナンバープレート上寄り、PS14。

12)EF15 165号機 日立 1962~1985年(1985年廃車)
5次形。碓氷峠鉄道文化むらに保存機。寒地型(気笛カバーは上越形の大きなタイプ、スノウプラウ)、前燈小、側面7枚窓(中央部3枚白Hゴム)、前面窓黒Hゴム、デフロスタ装備、ナンバー切り抜き文字左寄り、PS15。200号機と重連で「さよならEF15 FOR EVER」号。
13)EF15 200号機 日本車輌・富士電機 1969~1986年(1986年廃車)
15次形。寒地型(汽笛カバー、スノウプラウ)。シールドビーム2燈化、側面7枚窓(中央部3枚黒Hゴム)正面面白Hゴム、デフロスタ装備、切り抜きナンバー式、PS15。165号機と重連で「さよならEF15 FOR EVER」号。
 
D水上

14)EF15 76号機 東洋電機・汽車会社 1980年 PS14(1980年
廃車)
6次形。東洋電機・汽車会社製造の初のEF15。寒地型(汽笛カバー高崎形の大型で先端が直線タイプ、スノウプラウ)、前燈小、側面7枚窓(中央部5枚)、正面黒Hゴム、デフロスタ装備、前面のナンバープレートの取付位置前面窓のすぐ下で同メーカー製造のEF15の特徴です。前燈台座が2本足で少し前面に飛び出たタイプ。つらら切りは中形です。正面扉の右横に手すりが増設されています(長岡タイプ)。PS14。
 
E東京(16両)
昭和47年10月、それまでの旅客専用の配置から、区間貨物運用としてEF10・15形が配置された。特徴として常磐線乗り入れのため常磐無線アンテナを装備している事とデッキステップ白塗りである事です。


15)EF15 80号機 東芝 新鶴見から転属1976~1979年(1979年廃車)
  7次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、前燈の取付台座は2本足の  
タイプ、幅が狭い正面通風口が7段ヒダ、側面7枚窓(中央部5枚)、黒Hゴム支持化された正面窓に原型ワイパー、正面ナンバープレート、PS14。
 
16)EF15 153号機 川崎車輌・川崎重工 広島から転属1979~1983年頃(1983年廃車)
13次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器は鷹取工場独自の改造)、前燈小、LA15カバー無、側面7枚窓(中央部5枚)、原型前面窓、原形ワイパー(腕折式)、切り抜きナンバー、常磐無線アンテナ装備、モニタールーフの明かり取り窓のHゴム化白?、PS14。前面窓原型、原型ワイパーで当時はかなり希少な事から歓迎された。1983年まで在籍し当時撮影した人も多かった。
 
17)EF15 160号機 東芝 広島から転属1979~1983年頃(1983年廃車)
14次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器は鷹取工場独自の改造)、前燈小、側面7枚窓(中央部5枚)、白Hゴム支持前面窓、ワイパーWP50、デフロスタ付、切り抜きナンバー、常磐無線アンテナ装備、モニタールーフ明かり窓黒Hゴム化、PS14。

18)EF15195号機 川崎車輌・川崎重工 1973~1983年頃 83年 
甲府、八王子転属(1984年廃車)
最終グループ、暖地型(汽笛カバー無、排障器は鷹取工場独自の改造)、前燈小、側面7枚窓(中央部3枚黒Hゴム化)、前面窓黒Hゴム支持、助士席側のワイパーはWP35、切り抜きナンバー、常磐無線アンテナ装備、モニタールーフ明かり取り窓黒Hゴム化、PS15。
 
 
F新鶴見(46両)
品鶴線と通称される東海道貨物線に沿って立地する新鶴見機関区は、古くから貨物用機関車の基地として賑わってきた。国鉄蒸気全廃直後、1976(昭和51)年3月末時点で、この機関区に配置されていたEF15は46両(配置数最多)だった。新鶴見機関区の旧型電機群は山手貨物線や武蔵野線、京浜地区など首都圏の広域で貨物列車を担当していた。

19)EF15 69号機 東芝 1970~1978年頃 78年八王子転属(1979年廃車)
6次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、前燈座2本の飛び出たタイプ、側面7枚窓(中央部5枚)、前面窓黒Hゴム支持、正面ナンバープレート上寄り、PS14。
 
20)EF15 144号機 日立 1968~1981年頃(81年廃車)
13次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、側面7枚窓(中央部5枚)、前面窓黒Hゴム支持、正面切り抜きナンバー左寄り、モニタールーフ明かり取り窓黒Hゴム化、4次型グループはPS15形が基本だが144号機は例外的にPS14Aを装着、デフロスタ装着。

21)EF15 168号機 日立 1975~1980頃(84年廃車)
最終グループ、暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、側面7枚窓(中央部3枚Hゴム)、黒Hゴム支持前面窓、デフロスタ装備、正面切り抜きナンバー左寄り、常磐無線アンテナ配線のみ、モニタールーフ明かり取り窓黒Hゴム化、PS15。1エンド前頭部と2エンド前頭部が保存。最終グループ、暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、側面7枚窓(中央部3枚黒Hゴム)、前面窓黒Hゴム支持、デフロスタ装備、正面切り抜きナンバー左寄り、モニタールーフ明かり取り窓黒Hゴム化、PS15。唯一新製から廃車まで新鶴見機関区配置であった事が特筆される。
 
G八王子(11両)
中央線の八王子機関区にはEF15形が11両されており、八王子~新宿~新鶴見、新宿~大宮(操)・飯田町へと姿を見せている。特徴としては新鶴見区とほぼ同じスタイル(いわゆる首都圏タイプ)と考えられるが特に注目なのは正面窓のHゴム改造がなされていない原形窓が多い事が上げられよう(61,62,73,136等)。

22)EF15 62号機 三菱 72~79年頃 PS14(79年廃車)写真多い
5次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、側面7枚窓(中央部5枚)、つらら切りは大形です。先輪後位バネ吊り三菱タイプ(バネ吊りリンクが丸棒)、前面窓原形、正面ナンバープレート、PS14。
 
23)EF15 79号機 東芝 1972~1981年頃(1981年廃車)
7次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、取付座も2本足で少し前面に飛び出たタイプ、デフロスタ、東芝独自の幅が狭く7段ヒダの通風口、側面7枚窓(中央部5枚)、前面窓黒Hゴム支持、正面ナンバープレート上寄り、PS14。
 
24)EF15 136号機 東芝 1973~1983年頃(1984年廃車)
12次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈大(LP402)、側面7枚窓(中央部5枚)、原型窓(1981年頃から黒Hゴム、デフロスタ装備)、原型ワイパー、切り抜きナンバー、モニタールーフ明かり取り窓黒Hゴム化、PS14。
 
H立川
25)EF15 112号機 東芝 1980~1983年頃 PS14(83年廃車)
9次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、側面7枚窓(中央部5枚)、前面黒Hゴム、デフロスタ装備、正面のプレート式ナンバープレートが上寄り、PS14。

26)EF15137号機 東芝 1983~1984年頃 長岡からの転属車(1984年廃車)
12次形寒地型(汽笛カバーは上越タイプの大形、スノウプラウ)、前燈小、側面7枚窓(中央部5枚)、前面黒Hゴム、デフロスタ装備、切り抜き式ナンバー、正面扉の横に手すりが増設されています。モニタールーフ明かり取り窓黒Hゴム化、PS15。

 27)EF15 170号機 日立 1983~1984年頃(1984廃車)
最終形暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、側面7枚窓(中央部5枚)、前面黒Hゴム、切り抜き式ナンバー、モニタールーフ明かり取り窓黒Hゴム化、PS15。
 
28)EF15 199号機 汽車製造・東洋電機 1985年頃 (1985年廃車)
最終形暖地型(汽笛カバー無、排障器)、前燈小、側面7枚窓(中央部3枚Hゴム化)、前面窓黒Hゴム化、デフロスタ装備、切り抜き式ナンバー、常磐無線アンテナ、モニタ屋根黒Hゴム化、PS15。
 
I甲府
29)EF15 49号機 川崎 1977~1979年 東新新鶴→甲府 (1979年廃車)
4次形、暖地型(汽笛カバー有、排障器)、前燈大、側面7枚窓(中央部5枚)、前面窓黒Hゴム、デフロスタ装備、正面切り抜きナンバー上寄り、PS14。

30)EF15 118号機 日立 1979~1984年 長岡からの転属車(1984年廃車)
9次形。寒地型(汽笛カバー有、スノウプラウ)、前燈小、側面7枚窓(中央部5枚)、日立製の3次形以降の特徴でもあった幅広の連結器解放テコ。前面窓黒Hゴム、デフロスタ装備、正面ナンバープレート、PS14。

31)EF15 196号機 汽車製造・東洋電機 1981~1985年(1984年廃車)
最終形。寒地型(汽笛カバー無、スノウプラウ)、前燈小、側面7枚窓(中央部3枚白Hゴム化)、前面窓黒Hゴム、切り抜きナンバープレート、モニタ屋根黒Hゴム化、PS14。

J竜華
阪和線は天王寺と和歌山を結び、この路線の天王寺駅は旅客ターミナルとなっており、貨物列車は杉本町から分岐する貨物線で結ばれた竜華操車場を発着した。電気機関車はこの操車場に隣接した竜華機関区に配置された。竜華機関区の電機を取り巻く環境が大きく変わったのは1978(昭和53)年の10月2日のダイヤ改正で紀勢本線新宮~和歌山間が直流電化され、受け持ち範囲が一気に広がったのである。紀勢本線の電化に際し1978(昭和53)年度中に13両のEF15が竜華機関区に転入し、従来からの3両に合わせて16両体制が敷かれた。転入元は高崎第二、新鶴見、広島の3区所。この頃から前照灯のシールドビーム2灯化改造が実施され運転室側面窓のアルミサッシ化改造やデッキの手摺りの白塗装も実施され竜華独自の近代的なEF15のスタイルが確立された。

32)EF15 58号機 川崎 1972~1985年頃(1985年廃車)
5次形。阪和、紀勢で活躍し、竜華機関区のEF15の中で最若番として人気のあった58号機。暖地型(汽笛カバー無、排障器前端バリ取付)、2END助手席側通風口位置のみが異なる変り種。2灯式シールドビーム、側面7枚窓(中央部5枚)、前面窓白Hゴム、正面ナンバープレート上寄り、PS14。

33)EF15 158号機 日立 1978年~保存
14次形。「サヨナラ EF5866・EF15重連の旅」、暖地型(汽笛カバー無、排障器前端バリ取付)、2灯式シールドビーム、側面7枚窓(中央部5枚)、前面窓黒Hゴム、正面ナンバープレート左寄り、PS14。
 
34)EF15 189号機 三菱 1978年~1986年(1986年廃車)
最終形。暖地型(汽笛カバー無、排障器前端バリ取付)、2灯式シールドビーム、側面7枚窓(中央部3枚黒Hゴム化)、前面窓白Hゴム、切り抜きナンバー、モニタ屋根白Hゴム化、PS15。



35)EF15 202号機 日本車輌・富士電機 1958~1984年(1984年廃車)
ラストナンバー。暖地型(汽笛カバー無、排障器前端バリ取付)、2灯式シールドビーム、側面7枚窓(中央部3枚黒Hゴム化)、前面窓白黒Hゴム、切り抜きナンバー、PS15。

K広島(11両)
運用される範囲は広島~広~忠海~糸崎、広島~岡山(操)、広島~幡生(操)、1970(昭和45)年10月4に電化された呉線全線と広範囲におよんでいた。特徴として原形をほぼ維持した美しい外観のHゴム未改造機(158等)が多い事、及び排障器が台枠取付のタイプが多いことであろう。
36)EF15 109号機 日立 1964~1978年頃 1979年東京へ転 
属 (1981年廃車)
14次形。暖地型(汽笛カバー無、排障器前端バリ取付)、側面7枚窓(中央部5枚)、前面窓原形小窓、ワイパー原形、プレートナンバー、PS14。
 
37)EF15 157号機 日立 1964~1978年頃 1979年東京へ転属 (1983年廃車)
14次形。暖地型(汽笛カバー無、排障器前端バリ取付)、側面7枚窓(中央部5枚)、前面窓原形小窓、ワイパー原形、切り抜きナンバー、PS15。
 
38)EF15 160号機 東芝 1965~1978年頃 79年東京へ転属 (1983年廃車)
14次形、暖地型(汽笛カバー無、排障器前端バリ取付)、側面7枚窓(中央部5枚)、広島で改造で前面窓のみHゴム化されていたのは160号機のみ。前面窓白Hゴム、切り抜きナンバー、PS15。 

A案は以上で一応39ナンバーイコール38バリエイショントとなります。こんなにも多くのタイプが出来るかまだ判りませんが広島は2タイプ、竜華は3タイプで充分でしょう。立川は2~3タイプ、新鶴見は1つ2つふやしたいですね。
  保存機の竜華120、甲府198が入っていませんね。

★B案
EF15について知識の豊富なお二方にご意見を伺いました。
  *Mさんお薦め。八王子区 61、62、74   
宇都宮 78  
広島 91、109  
新鶴見/高崎 102
龍華 120
*Nさんお薦め。高崎(元新鶴見) 102、
八王子 60、61、62
  *Mさんお薦め。八王子区 136 
広島区 153、158 
龍華 158ブタ鼻
*Nさんお薦め。東京(元広島)常磐無線アンテナ付き 153、157
  *Mさんお薦め。高崎 165 
ラストナンバー広島/龍華 202(ワイパー原型))
東新潟のスノウプラ付き,小型汽笛カバー付き,正面Hゴムのグループ。
*Nさんお薦め。ラストナンバー広島/龍華202、
高崎 200(白Hゴム、ブタ鼻)
新鶴見でPS14,耐寒装備無し黒Hゴムのどれか1輌
 
実機が202両と大所帯ながら同じく大勢力を誇ったEF65と比べハッキリとした区分が無く貨物機故に、また東京ではいたるところで見ることが出来たのでEF10やEF12と比べあまり有難たられなかったのはEF58がEF57やEF62、EF80に負けていたのと同じでした。しかしそんな思い出も時が経つ程懐かしものです。