ED78に対しての思いに寄せて



東北地方でも限られた線区での活躍、数的にも10輌そこそこと小世帯のED77,ED78,EF71。
何でこんなに惹かれるものが有るのか。矢張り親父さんの影響が大きいのと1970年台の模型界に身を置いた者として当時の影響が大きかったと、でももうずいぶんと昔の思い出話になってしまいました。当時、熱海や長野の模型クラブの方々と親しくお付き合いさせていただいていましたが皆一様にこれらの機関車に対しての憧れの様なものを抱いていたと思います。まだ東北新幹線が開通する以前のことで東京ではまだ東北は遠い地、“みちのく”のイメージが有り、上野駅の地下ホームには東北の匂いが満ち溢れていました。家から15分も歩けば東北線が有り485系ボンネット特急が通勤電車並みに行きかいEF58、EF15等が来てもああ、また来たかという始末。そしてEF62やEF80に心躍らされていました。更に数年さかのぼると武蔵野線が開通する前は東北、上越、信越線からの貨物列車は全て赤羽を通過する訳で赤羽駅北側の踏切は朝夕共凄まじい開かずの踏切と化します。それで歩道橋が設けられていた訳ですがこの上から眺める通過列車の光景は素晴らしいものでした。夕方、多くの買い物客が行きかうのを背に次々とやって来る2軸貨車の群れの貨物列車の牽引機、多くのEF15の中にEF10の丸車体やEF12等がやって来ると徳をした気分になったもんでした。キハ28、58の長距離列車等は10輌近い長編成で凄い排気ガスと騒音をまき散らして爆走していました。これにEF56,57もいた訳ですから今思うととんでもない時代でした。最新デジカメを携えてタイムマシーンでその時代にいければ狂喜乱舞間違いなしです。京浜東北線の73系全鋼車に夕日が当たり車体が美しく輝いていたのも懐かしい記憶です。話が脱線してしまいました。


  模型の上でEF71の思い出と云えば矢張り天賞堂さんのEF71に尽きると思います。当時としての超高級品としての価格と品質、そしてその塗装の印象は強烈なものでした。しなのマイクロがEF64と共に売り出した素材の様なものはそれに対する対抗馬になりえませんでした。しなのマイクロではその後ED77,78等をトータルキットと称して発売するものの他社の製品を参考に寸法をアバウトに決めて製作していたので結局歴史のはざまに消えていきました。このキットで良く印象に残っているのがしなのマイクロお得意のドロップ製の中間台車TR103でした。各社のいろいろな模型のこの中間台車とその周りの表現方法にはずっと不満が残るものでした。

同じような形態の空気ばね方式のDD51で満足行く結果が出ていたので何時かTR103にも挑戦して見ようと考えていましたがやっとその機会が訪れました。


このサンプルモデルはまだまだ仕上げの粗いところがあると思いますが量産品は数多くの修正を加えて発売致します。























台車の幅を片側0.8mm程詰める予定です。







2018.12.27付けのトピックス#177で、実物は思ったより“もっさり”とした印象と記していますがED78やEF71とにらめっこしていて気が付いたことは正面窓上の庇とヘッドライトの距離に原因が有るという事でした。この距離が小さいと精悍に見え、離れていると少しもっさりとした、しかし風格のある印象になります。ところで窓から屋根までの距離は決まっている訳ですから限られた寸法の中では窓の位置が高いか屋根Rがつぶれてない限り距離が短くなることは有りません。その意味で今回のED78のサンプルモデルはもう一息と云うか車体断面を実物図面と比べ正確に再現されているかをよくよく確認しないといけません。正面ひさしの上のスペースに余裕がないとED78、EF71の感じが出ないと言うことです。又、これは雨どいの落とし口の角度にも影響してきます。赤2号の車体色については同じ赤2号の50系客車と並べて違和感無い範囲で模型として美しく再現するのが良いと考えます。

サンプルモデルは現在の保存機をプロトタイプとして製作したものです。ご了承下さい。