EF62と避雷器のこと、プロデュースを終えて。
長く時間をかけたEF62のプロデュースで最後に最も厄介で頭を痛めた問題は時代と共に交換され新しいタイプへと変わってゆく避雷器の変遷に対応する事でした。ご存知のように試作1号機、及び1次量産車2~24はカヴァーの無いLA15。2次量産車25~26は缶空の様なのっぺりと背の高いLA15Aです。ところで2次量産車のLA15Aも調べていくと2種類有ることが判明。一つはEF65 0/500番台などに使用されているただの円筒形状ののっぺりとしたタイプですがこれを取り付けているのは確認出来た範囲で25,26、34の3輌しか有りません。残りの2次量産車はLA15Bなどと同じく下方を少し平らにして車体に取り付ける強度を増した様な形になっているタイプとなります。結局その後の変遷には秩序だったものは無く1970年代末から後LA15Aの2種と、LA15B、LA15D、LA16。JR化後のLA17と入り乱れてくる始末。これにEGジャンパー栓の移設やワイパーのWP35からWP50への交換、熱線入りガラスへの交換によりデフロスタが無くなる時期との整合性を持たせるので大変です。横川鉄道文化村の1号機には1エンドLA15B、2エンドLA15Aが取り付けて有りますが2エンドには恐らく1976年頃から現役最後の1987年までLA16が付いていました。そして横川に入る前に当時最も新しかったLA16は他のEF62に振り替えられたものと考えられます。下関に移ったものでも後でLA15DからLA15Aに先祖返りしたりとEF65とは大違いで相当戸惑ってしまいました。JR化後に残った6輌も含めこんな避雷器でもバラエティーを楽しめる訳ですがプロデュースにはえらく時間が掛かってしまいました。ただ怪我の功名で今では一見同じに見えるLA15DとLA16も見分ける事が簡単に出来るようになりました。