第36話 ムサシノモデルのポリシー。

ムサシノモデル、資金力も業界に対するコネも無い街の小さな模型屋さんが1969年以来、一種のサバイバルゲームの末に何で今まで生き残ってこれたのか?。うちの親父さんはアタシノモデルと言われて自分の模型しか作らない人で横から見ていて反面教師にしていました。でも組み立て式レイアウトを作り走らせて楽しむのが大好きで例えば鉄道模型社の模型が何でここで脱線するの?とか何でショートするのとか、この模型何で走りがこんなにギクシャクするのとガキの私と二人で原因を調べたりして兎に角、鉄道模型は多少レール状態が悪くても走らにゃいかんと頭に叩き込まれました。模型メーカーをやって来て子供のころから走らせて遊んできた経験と思想が大いに活かされています。私がこの世界で影響を受けた先達は模型の売り買い、技術的な師匠と何人もいますが皆実力と共に強烈な個性の持ち主でした。しかし明が有れば暗が有りその明の部分だけを吸収して自分のものとしてきました。今ではもうその様なひとはこの世界では一人もいなくなりました。やがて日本国内で七転び八起きしながら商売人として、又模型製作メーカーとして経験を積みつつ結局日本での製品作りを諦め韓国で製品作りを始め気が付けば今年で32年目となります。韓国メーカーへは先達から学んだ事、経験で身に着けた感性と技術、日本型とアメリカやヨーロッパ型との表現の違いを徹底的に話し合い理解してもらい製品に反映していきました。それは今も続いています。メーカーの人達は腕っこきの職人さんです。こちらがトウシロウでは云うことを聞いてもらえません。100パーセント聞いてもらえないと私が理想とする製品は作ることは出来ません。要は簡単、今作っている製品が売れなければもう次が無いのです。ご飯も食べられません。それは実に恐ろしいことです。それで消えていった仲間を何人も知っています。眞に一匹狼、完全独立系インディーズメーカー。これがずっと私がやって来たことです。でも、うちのスタッフたちにはこの切羽詰まってやってきたことを口で説明しても全く理解してもらえません。凄く安易な方に流れます。仕事は舐めてはいけないのです。私にとってこの50年、常にお客様とのやり取りは真剣勝負でした。商売人と職人を兼ね備えて初めて生き残ってこれた世界です。

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