第29話  現在における個人経営の模型店(うちみたいな)の現状の解説 2025.6.7 

ムサシノモデルは1969年7月13日にお店を忽然と始めた町の小さな模型屋さんです。まだ都営地下鉄三田線が開通する以前です。当時は町中に模型店だけでなく商店街に行けば八百屋、肉屋、魚屋、乾物屋、お菓子屋、パン屋、甘味処、衣料品店等々の個人商店で人々の賑わいが有りました。今から56年前、大阪万博の前年、昭和ど真ん中の時代です。今とは違って町中に子供の数が圧倒的に多く新規開店と同時にお客さん(小中学校生が主)がやって来ました。ゲームもパソコンも携帯もネットも凶悪事件も無い平和な時代でした。蔵前、浅草橋の問屋街には多くの店が軒を連ねて並んでいてプラモデルの山が店先から歩道迄うず高く積まれていて活気が有りました。今では想像できませんね。また宅配便の無い時代です。仕入れた品物は車か或いは凄くがさばるプラモデルの箱を手で持ってくるしかない時代です。タミヤ等でも¥100から高品質な製品が揃っていました。¥350~500出せばかなりに立派な製品が手に入りました。家の親父さんは毎日バイクでプラモデルを仕入れに行っていました。鉄道模型はと云うとうちみたいな駆け出しの小さな模型屋にはまず話題の製品等かすりもしません。もっとも資金力も有りませんでしたし、ね。鉄道模型はメーカーさんから卸してもらうにも「いきなり模型店を始めました」と言っても中々敷居が高く簡単には卸して貰うことは出来ません。問屋さんも同様で話題の製品、人気商品はほとんど力の有る模型店にいってしまいます。コツコツと実績を積み上げて行って初めて相手にして貰える様になります。TMSの広告も模型店にとってはステイタスそのもの。掲載も順番待ちの上、店の評判等も加味され簡単には載せてもらえません。ムサシノモデルは5年待って1974年9月号から広告を掲載させて貰う事が出来ました。ですからもうTMSには51年広告を掲載しています。当時のTMSには多くの個人経営模型店が広告を掲載、覇を競っていて壮観でした。プラ製品に代表される大量生産品等有る訳もなく同時に安売り量販店、ネットショップも無い個人経営の模型店しかない時代。鉄道模型は真鍮製品中心で兎に角問屋さんから品物を仕入れる事で商売が成り立っていました。嗚呼、あれから50年(綾小路きみまろ)。時代は様変わり、問屋さんから品物を普通に仕入れていたのでは個人経営模型店は生きていくのが困難な時代になりました。大資本に叶わないのは他業種と同じです。又、高齢化は模型店だけではなく真鍮製品製造メーカーにも及びます。製品を作る上でのコスト上昇もかなりのものが有ります。もう良い商売とはかなり以前から言えなくなっています。真鍮製鉄道模型は滅びゆく伝統工芸です。ムサシノモデルは韓国で製造を始めて31年になりますがそれは韓国でも同じ事です。31年前、当時の韓国は平均給与が日本の3分の1。それが日本の円安政策も有り抜かれています。物価は日本の1.5倍。韓国で仕事をしていた同業者も多くははかなく散って行きました。アナクロニズムの極致ムサシノモデルの製品をいくらお客様が少しでも買いやすくと値付けをしても厳しいです。どうせ安くできるんだろうという人も結構います。その手合いは無視の上で、その分各製品のプロトタイプ、これが最後もう後が無い、最高の製品を残しておこうと又自分の首を絞める事になってしまいます。でもうちの様な小売店が価格競争に巻き込まれず良い製品で勝負していくしか生き残る道はないです。

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