制作裏話

第29話  現在における個人経営の模型店(うちみたいな)の現状の解説 2025.6.7 

ムサシノモデルは1969年7月13日にお店を忽然と始めた町の小さな模型屋さんです。まだ都営地下鉄三田線が開通する以前です。当時は町中に模型店だけでなく商店街に行けば八百屋、肉屋、魚屋、乾物屋、お菓子屋、パン屋、甘味処、衣料品店等々の個人商店で人々の賑わいが有りました。今から56年前、大阪万博の前年、昭和ど真ん中の時代です。今とは違って町中に子供の数が圧倒的に多く新規開店と同時にお客さん(小中学校生が主)がやって来ました。ゲームもパソコンも携帯もネットも凶悪事件も無い平和な時代でした。蔵前、浅草橋の問屋街には多くの店が軒を連ねて並んでいてプラモデルの山が店先から歩道迄うず高く積まれていて活気が有りました。今では想像できませんね。また宅配便の無い時代です。仕入れた品物は車か或いは凄くがさばるプラモデルの箱を手で持ってくるしかない時代です。タミヤ等でも¥100から高品質な製品が揃っていました。¥350~500出せばかなりに立派な製品が手に入りました。家の親父さんは毎日バイクでプラモデルを仕入れに行っていました。鉄道模型はと云うとうちみたいな駆け出しの小さな模型屋にはまず話題の製品等かすりもしません。もっとも資金力も有りませんでしたし、ね。鉄道模型はメーカーさんから卸してもらうにも「いきなり模型店を始めました」と言っても中々敷居が高く簡単には卸して貰うことは出来ません。問屋さんも同様で話題の製品、人気商品はほとんど力の有る模型店にいってしまいます。コツコツと実績を積み上げて行って初めて相手にして貰える様になります。TMSの広告も模型店にとってはステイタスそのもの。掲載も順番待ちの上、店の評判等も加味され簡単には載せてもらえません。ムサシノモデルは5年待って1974年9月号から広告を掲載させて貰う事が出来ました。ですからもうTMSには51年広告を掲載しています。当時のTMSには多くの個人経営模型店が広告を掲載、覇を競っていて壮観でした。プラ製品に代表される大量生産品等有る訳もなく同時に安売り量販店、ネットショップも無い個人経営の模型店しかない時代。鉄道模型は真鍮製品中心で兎に角問屋さんから品物を仕入れる事で商売が成り立っていました。嗚呼、あれから50年(綾小路きみまろ)。時代は様変わり、問屋さんから品物を普通に仕入れていたのでは個人経営模型店は生きていくのが困難な時代になりました。大資本に叶わないのは他業種と同じです。又、高齢化は模型店だけではなく真鍮製品製造メーカーにも及びます。製品を作る上でのコスト上昇もかなりのものが有ります。もう良い商売とはかなり以前から言えなくなっています。真鍮製鉄道模型は滅びゆく伝統工芸です。ムサシノモデルは韓国で製造を始めて31年になりますがそれは韓国でも同じ事です。31年前、当時の韓国は平均給与が日本の3分の1。それが日本の円安政策も有り抜かれています。物価は日本の1.5倍。韓国で仕事をしていた同業者も多くははかなく散って行きました。アナクロニズムの極致ムサシノモデルの製品をいくらお客様が少しでも買いやすくと値付けをしても厳しいです。どうせ安くできるんだろうという人も結構います。その手合いは無視の上で、その分各製品のプロトタイプ、これが最後もう後が無い、最高の製品を残しておこうと又自分の首を絞める事になってしまいます。でもうちの様な小売店が価格競争に巻き込まれず良い製品で勝負していくしか生き残る道はないです。

第28話  旧型輸入電気機関車ED17,ED18の後の予定あるいは夢想。2025.5.23


OJ ED19 1号機

ムサシノモデルが最も好きなジャンルの1つは何と言っても旧型EDクラス電機になります。これまでED12.ED13,ED16.ED17.ED18.ED50.ED51.ED52.ED54.ED57と発売して参りました。知っている人がいなくなるからもう商売にならないと言う人もいますがさにあらずです。若い方でも興味のある方は沢山とは言わないまでもいらっしゃいます。現在ED17.ED18をATM社と完全新規で約25年振りに製作していまのでご期待頂きたいと思います。この今まで製作してきたリストにかけているのがアメリカからの輸入機です。以前OJで製作したED19を16番で製作する計画がスタートしようとしています。製作は過去に鉄道省8850、OJ ED19を送り出したRTM社です。これって夢想では有りませんでした。そこで考えるのはED53の事です。その前に立ちはだかるのがウェスティングハウス製のパンタグラフでした。かなり以前から調べていましたがどうにか構造が理解出来ました。このパンタグラフは両サイドフレーム内にシリンダーと下降用バネが仕込まれています。このシリンダーに空気を入れる事で下げバネが引き伸ばされ両フレーム内側にある上げバネの力が勝る事によりパンタグラフは上昇します。パンタグラフ中央部にはペンシル状の長いシリンダーが設置されていてその先端に付くのがパンタグラフカギはずしです。これでパンタグラフ下枠のX状に交差している部分を引っ掛けています。空気を入れる事でこのペンシル状のシリンダー先端部に付くカギはずしが外れます。大体こんな感じだと思われますがご意見を頂ければ幸いです。


OJ ED19 6号機
 

第27話 ED17/ED18の塗装についてのトリビア 2025.5.22

現在製作中のED17,ED18の塗装に付いてATM社から全タイプのカラー色刷りのペイントガイド図面がメールが送られて来ました。デザイナー李 京 仁 女史の仕事に対する正確さ、センスの良さには毎回ひれ伏してしまいます。その図面を少ない資料を基に頭をひねりながら更にチェックして行なって行きます。先ずED17から始めます。なお身延線のED17担当は大宮工場、飯田線のED17,ED18担当は1970年までは浜松工場、以降は長野工場になります。身延線のED17はカラー写真で屋上の塗り分けが判る写真はほぼ皆無です。そこでユーチューブの動画が頼りになります。素晴らしい動画「国鉄身延線の旧国、ED17など。8mmフィルムから。」ではED17 7号機、5号機がカラー映像により屋上のモニター屋根、取り外し部の塗色が黒では無くブドウ色2号であるのが見てはっきりと確認できます。身延線のED17は車体ブドウ色2号。屋上は私見では絶縁材と思われる少しグレーがかった艶消しの濃い黒。モニター屋根下部及びヘッドライトは半艶黒、モニター屋根取り外し部はブドウ色2号。木製ランニングボードは濃いこげ茶色。台枠、床下及び台車は黒となります。PS14パンタグラフは基部が黒、枠は銀色です。良く調べたところ仙山線のED17も同様でした。大宮の保存1号機は現役時代とは塗り分けが異なるようです。飯田線のED17は幾つかのカラー写真やユーチューブ動画「飯田線のデッカー」が有りヘッドライトがブドウ色2号である以外は同じ塗装で有る事が解かります。この他戦前,甲府機関区のED17は以前制作のED12改造後同様に屋上まで含め黒に近いブドウ色1号になりますが、1950年代から60年代初頭、八王子区のED17の場合は屋根まで含め普通?のブドウ色1号とします。

大宮鉄道博物館に保存のED17 1号機

当店のED18は1970年代に入り担当工場が浜松工場から長野工場へ移り、1972年所属区が中部天竜区から伊那松島区へ移動してからの姿。避雷器はLA15B、側面ドア両サイドの手すりはハンドレイルノブ式から、ただ丸棒を曲げた形態に改造後の姿になります。現在名古屋のJR東海のリニア館にED18 2号機が展示保存されています。担当工場はJR東海浜松工場、この塗装の塗り分けはJR東海トロッコファミリー号時代を表しています。現役時代はパンタグラフ基部黒、枠が銀色。ランニングボードは木製で濃い焦げ茶です。特徴としてED18 1、3号機が台枠黒色なのに対し2号機はブドウ色2号となります。これはユーチューブの動画「日本の電気機関車#2ED18電気機関車」、「飯田線の電気機関車(ED18.ED62.ED19」で現役時代末期の塗色を確認する事が出来ます。

JR東海時代、トロッコファミリー復活塗装のED18 2号機。

ムサシノモデルではED17,ED18の様なブドウ色の機関車モデルにおいても徹底したリサーチを行い、実物誌では先ず書かれない塗装について製品で忠実に再現してまいります。




 

第26話 2025年 年初の雑感 2025.1.12

2025年の新春を迎え、お陰様でEF62の発売を迎える事となりました。この製品はメーカーのATM社共々10年をかけた鏤骨の上での製品です。これ以上の製品を作ることは不可能と云って過言では有りません。もちろん人間が精魂込めて1つ1つ手造りで製作しています。何時も完璧な製品をと念じて模型作りに向き合っていますが、なかなかそうは問屋がおろしてくれません。明日はなろう、明日はなろうのあすなろ物語です。うちのスタッフは完全週休2日制ですが、私と体調を崩した弟に代わってこの4月よりムサシノモデルに安月給で就職してくれた妻共々ほぼ休みが無い限界状態で仕事をしています。妻が弟の様に体調を崩さないか何時も悩み心配するところです。自営業としてムサシノモデルは非常に過酷な職場です。最近はもうこの辺で廃業した方が良いのでは考えてしまいます。まず籠の鳥状態でホイホイと何処かに出かけていく事など思いもよりません。1年365日、朝も夜も頭の中で考える事は仕事の事ばかり。神経が伸びきっています。しかし、でもお客様は更なる品質向上で価格を抑えてね、の他あれこれと要求されます。少しのミスも許されない今日この頃です。今回発売のEF62の¥355.000は10年前に発売したEF65の¥245.000と比べて小売した時の利益は全く変わりません。又、ATMメンバーを横川、大宮、韮崎、新鶴見、尾久、勝田、名古屋、京都、大阪等に取材に来て貰ったり、例えば私たちがEF62のプロデュースに要する数年にわたる時間、資料等の必要諸経費は全く小売価格に反映させることは出来ません。問屋さんへの卸しを中止し、小売店への卸し価格も上げて貰ってEF62の小売価格¥355.000を維持しています。一昨年の年頭より円安ドル高で円が韓国ウォンに対しても13%下落。メーカーのATM社も韓国の物価高のもと下請け工場からの値上げ要求なども有り昨年の10月下旬の訪韓時にシッピング価格を双方合意の上で¥10.000上げる事に致しました。当初¥345.000で発売を予定していましたがこの理由で小売価格を¥10.000上げて¥355.000と致しましたが利益率は当然下がります。以前¥20.000以下で製品を発売していた頃と比べその重圧で数倍神経をすり減らします。ソウルのコンビニでマウントレーニアの様なコーヒーでも買って朝飲もうと価格が2.500ウォン、3.000ウォンでやめて水を買って部屋へ戻りました。金浦空港の両替で10.000円が83.000ウォンで計算して見ると韓国の物価高にはびっくりです。日本の円の価値がわざとやっているのかこの20年でトルコ、アルゼンチンを抑えて堂々1位、40%の下落です。とまあ、頭の上に重い石の重圧が乗っかっているような2025年新春の雑感です。

第25話 何だか全く頭が混乱したお話 2024.9.16



今現在EF62の発売が秒読み?、となっていますがプロデュースの方ではEF15がムサシノモデルの得意技、”重箱の隅を楊枝でほじくる”がさく裂中でした。それもほぼ終わり余勢をかってEF15/16の1次型の写真とにらめっこをしています。今から20年ほど前にもEF15を製作しようと横川のEF15 165号機と水上のEF16 28号機の取材を行っています。EF16の取材は12月に行ったので15分採寸や写真撮影。そうすると手足が寒さでかじかんで動かなくなるので道の駅のストーブ前に一目散。手足が温まったら又EF16に突撃とこれの繰り返し。当然正面の寸法を採寸したのですが正面窓1つ取っても巻き尺を当てて見るとこれが割り切れない変な寸法ばかり。

モーターへのジャンクションも標準型と異なる。

側窓も変な寸法。なんじゃこれはと匙を投げています。

その後2016年にも気を取り直してもう一度取材に出かけています。

今回EF15の標準型をプロデュースしてみて日立製EF15 1次型から車体の低い1,3,4,5,7,8福米型をこちらで図面を引くとどんな感じかなと。EF15の車体高の違いは台枠の厚みの差で厚い、低い、標準と変化しています。これはサイドベンチレータ下のスペースを測ると直ぐに判ります。問題は正確な正面窓の高さ位置と側窓の高さ位置です。正面はHゴム窓に改造されています。これらをCADにより微妙な位置取りを写真と睨めっこしながら決めて行きます。標準型を先に片付けておくとやり易いです。問題は何時作るの、小売価格は、生産数は、で今更売れるんかいなと。EF16唯一の保存機である28号機、それにしても私たちが取材した時の惨状たるや言葉では言い尽せない程酷い有様でした。窓ガラスは割られナンバープレートも盗まれたそうです。昨年クラウドファンディングにより美しい姿を取り戻しましたが誰かが見守ってあげてないといけないような日本になってしまっています。

第24話 今まで出来た事、出来なかった事、これからの事 2024.08.18

ムサシノモデルも1969年7月13日創業で今年で55年を迎えました。因みに5年待ちでTMSに広告を載せる事ができたのが1974年9月号でこちらはもう直ぐ広告掲載50年になります。一瞬の出来事の様ですが”思えば遠くに来たもんだ”です。こんな小さな町の模型屋さんが何とか生き延びて来られたのも皆様のお陰と心得ている次第でございます。その間世の中は変わっていき、当時街中に普通に沢山有った多くの個人商店はコンビニ等に、例えば模型店の場合はネットショップ、量販店の前に高齢化も手伝い次々と廃業していきました。大手のプラ製品等はまるで問屋が小売りをしているのも同然です。個人商店は大変です。そして多くの懐かしい名前のメーカーも同様に消えて行きました。当店は外国型真鍮モデルで一世を風靡した後、縁あって韓国メーカーとタッグを組みインポーターとして30年、何とかここまでやって来られましたが私も人生の第4コーナーを廻ってしまった身。残された時間の中で絶対これからかたちにして残して置きたい面々と、申し訳ないけどもう諦めなければならない面々、過去に作りたくても時代がそれを許してくれなかった面々と有ります。まずこれだけは石にかじりついても製品化すると決意している面々。なんか又大法螺を吹いているとか、オオカミ少年とか言われそうですが今まで休みなく何かしらの製品を出し続けて来た訳でも有りますし、そういう外野は無視、中島みゆきのファイトです。20年前にEF66に引き続いて製作する予定でいたEF15,EF62,EF63からまず、もう発売真近のEF62,そして来年発売となるEF15。本当に長い道のりの末にやっとたどり着けたと思います。そしてEF64 1000番台までは製作する順番が決まっています。その先です。絶対にものにして行きたいプロトタイプ。EF66,EF210,EF63,ED78,EF71そしてEF58。アーやっぱりオオカミ少年だと自分でも思ってしまいます。何か険しい高峰が連なる山脈にへばりついて這いつくばって、これだけで何年かかるか分かりません。ニッポン国がこれ以上地盤沈下しない事を望みます。申し訳ないけど諦めなければならなかったのがまずOJのC55,D51。これは韓国の水谷君を刑務所に放り込みました。これからアートホビーズで作ったとしてももう売り買い出来る価格設定が難しいです 。EF52,これは是非作りたかった。そしてEF10角ボディーにHT56A,鋳鋼台車HT58,EF12のグループ。この手のプロトタイプはもう戦後生まれのEF15が限界でこれらの良さを理解できるファン層がもうかなりいなくなってしまいました。勿論少しはいらっしゃいますが。そしてED60/61/62これはボーダーライン上かなーと感じます。後は編成物。もう20数年前、ダブルルーフ客車は凝りに凝って作り上げた自信作で価格も50.000円台前半となるべく抑えましたがムサシノ製品は高額高価とレッテルを貼られたりしました。今から20系客車を凝った作りで製作しようとしても価格も高騰、なにより製作出来るメーカーが消滅の危機に有りでもう無理。時代が許してもらえなかった面々.6500,7950,18900とこれを真鍮製モデルの量産品で玉砕覚悟で製品化するにしても8850が最後、もう時代がずれてしまいました。とまあ小さな町の模型屋さんの妄想にお付き合いいただきまして誠に有難うございました。で図面が仕上がっているED14,DD13がありました。

第23話 プレス抜きボディーとエッチング抜きボディー。どっちが良いの? 2024.07.27

当店製品のEF81やEF64.EF65をお買い上げ頂いたお客様は、車体側面の塗装面がまるで鏡面仕上げを行った様なこれまでにない美しい平滑さであることに気付くと思います。これは非常にハードな硬い材質の0.5t真鍮板エッチング抜き加工でスパッと抜いて車体が形作られているからです。エッチング抜き技術もその昔と異なり0.5tの真鍮板を寸分の狂いなく抜いています。プレス抜き加工では金型を使用しもっと柔らかい材質の真鍮板を抜いて行くので多少の歪みが出てしまいます。水研ぎを行い平面性を追求する方もいます。兎に角硬い材質ですがこれをプレス加工により、実機図面から忠実に模型化図面として作図されたスペック通りに大屋根R、小屋根Rを正確に再現しています。当店の考える、機関車の顔は縦長(精悍)に見えなければペケであるを実践、実機をそのまま写し取った様なモデルの表情となっています。これはメーカーがアングロサクソン(アメリカ)、ゲルマン(ドイツ)の仕事でモデルもリアリズムで有る事を叩き込まれた事から来ていると思われます。勿論ムサシノモデルではそこに1/87ではない1/80の表現方法を韓国の幾つものメーカーに植え付けて行きました。当店製品が同じ韓国製でも日本メーカーの製品と比べて違和感が無いのもその為です。話が脱線しました。車体内側には床下を止めるアングル部分を含む硬く厚みのある部品がガッチリ付きます。こうして最終的に完成した車体に実機通りにディテーリングされた床下がピタリと隙間なく気持ちよく嵌ります。


ATM朴社長の話として後のOJモデルは当店の製品を直接見て参考にしたそうです。






この相乗効果によりかなりガッチリとした車体となります。この床板には中間台車上部と床の隙を埋めるためのギミックがあります。また当店製品は背面のパネルまで再現した運転室の作り込みも日本型としては初めての試みでした。このキャブインテリアの着脱の利便性等もよく考えられた設計となっています。充分過ぎる強度を鑑みながら多くのアイデアを盛り込んでいるのがムサシノモデル製品です。


 

第22話 EF62 1号機のベンチレータの縁取り 2024.06.12

ベンチレータの縁取り表現について。

ご存知EF62 1号機のベンチレータをほぼ正面から見ています。

下方から見上げたところ。

斜めからの図。

近寄って見るとこんな感じです。

当店製品のベンチレータの縁取りは0.2mm厚です。

この表現が結構難しい処ですがかなり良く再現しています。

こんな感じです。

前期型、薄くグレーをスプレーしたので縁取り表現が良く解かります。

お召し11号機のFRPモニター屋根の塗り分け。外周のみ白く塗られています。

画像がボケててどうもすいません❕。

第21話 旧型電気機関車の屋根の色は? 2024.05.30

ED17/ED18の屋根の色の考察

今まで製品化してまいりました旧型電気機関車の屋根の色は概ね1960年代の半ば頃から黒塗装となっています。1966年、国鉄大宮工場において、EF56はSG煙突の改造時に、EF57はSG→EG改造時にブドウ色1号からブドウ色2号に塗り替えられた際に屋上が黒塗装化されています。現在製作中のEF15も1970年代以降の姿になりますので広島、龍華以外は全て全体検査は大宮工場持ちとなりますので屋根は黒塗装になります。それではメインテーマのED17/18です。ED17は大宮鉄博に1号機が保存されていますがこれも1960年代半ば以降の大宮工場での塗装を再現していて屋根と台枠以下が黒塗装になっています。

屋根の色、黒いですね。台枠も黒。

でもよ~く考えてみなくても屋根の色を黒く塗装したED17の模型ってうちのを含めて見たこと有りません。で、ど~もすいません。これ甲府機関区、身延線のED17になります。念力を使い残された数少ないED17の屋上が写っているカラー写真とにらめっこして検証して屋上の黒色塗装を確認しました。ほんとに疲れます。では浜松工場持ちのED17/ED18はどうだったのでしょうか?。

エッヘン。うちのOJ,飯田線ED19です。屋上は黒塗装です。


名古屋リニア鉄道館に保存のED18 2号機です。屋上黒塗装です。

おや、モニター取り外し上部のみブドウ色2号になっています。

しかし綺麗に整備されています。

モニター部を拡大して見ます。やはり取り外し部分のみブドウ色2号です。

大宮のED17 1
号機のモニター。取り外し上部の形状が解かります。

飯田線現役時代のED17,ED18を調べて見たところ保存展示されているED18 2号機と全く同じ。つまり国鉄現役時代、少なくとも1970年代の塗り分けを忠実に再現している事になります。台枠は黒です。なおJR東海時代、ED18 2号機の台枠はブドウ色2号になっています。今度製作のED17/ED18は以上の塗り分けで製品化されます。1965年5月に仙山線に行ったED17 21/22号機は転属に際して前面エプロン等の改造は大宮工場で行ったと考えられますが仙山線で撮影されたカラー写真では屋上モニターがブドウ色2号で写っているので屋上も含めてブドウ色2号とします。



 

第20話 追いかけてパーイチパーイチ。2024.05.19

追いかけてパーイチパーイチ

EF81の再生産の準備が始まっています。でも今回は最初のEF81製作でのお話。コロナが日本で豪華客船から始まる頃、EF81の半田付け組み立ても終盤になりいよいよ塗装の準備として色見本を作ることになりました。あ~あ赤2号と赤13号ローズピンク。モーレツに苦労した苦い思い出が残っています。ATM社の朴社長共々、色見本を何十回も作ってはダメ、今度もダメの連続で疲労こんばい。おめめが相当悪くなりました。作った沢山の赤の色見本を見ていると茶色に見えて来て頭が変になりそうになります。EF81 赤2号北斗星色は上野駅でずいぶん見て来ました。それで初めは簡単に考えて取り掛かりましたがしかし、色の調合を始めてみると北斗星の赤2号は実物通り調合した色では模型に塗装した場合に、あまりにも暗く重い色調となってしまいます。模型では実機を少し離れた場所から見た時の印象。例えば車両基地等での撮影会や列車を従え走って来る時の色の印象。ムサシノモデルの場合は5月の午前中、順光での少し明るく少し鮮やかな光線下での印象を想定して調合としています。結局の処、色は対象物に当った太陽光の光の反射が目に入った時の印象で決まって来ます。晴天か、曇天か、曇り空か、午前中か、午後か、春夏秋冬で又異なって見えます。印象派のモネみたい。かように模型の色の調合は一筋縄では行きません。赤2号の国鉄時代、EF71、ED77,ED78,等郡山工場担当の機関車の赤2号はどうだったのでしょう。これは50系客車と全く同じ色だったそうです。地元の模型ファンのお話で磐越西線で全検出たてのED77が新製配備となったばかりの50系の客車列車に乗車していたそうです。止まった駅のホームで両者の色に興味を持ち下車して確認した処全く同じ色だったそうです。このお客様、たまたま国鉄時代郡山工場の赤2号の手板見本をお持ちでしたので興味深々でお願いして拝見させて頂きました。それが当店のEH500(他のメーカーでは有りませんよ)の色味より少し濃かったのです。ぎょぎょぎょ、じぇじぇじぇ、でした。最初のEH500の実機の赤は国鉄時代の赤2号だったのでした。当店のEH500はDF200初回生産分の失敗に懲りて以後グレーはマンセル番号値でワンポイント半明るい方に振っています。実機はその様に見えます。JR貨物の指定マンセル値で塗装しますと暗く必要以上に重い印象となります。そう云う目で模型と実物の色を比べて見ると面白いですよ。そう云えばEF71、ED78を北斗星、秋田色で塗っちゃった製品が有りました。因みに北斗星赤2号も大宮工場、秋田総合車両所(土崎工場)では色調が全く異なります。


EF81 98北斗星色、実際の製品より暗く写っています。

最初に調べた実物の色に忠実に調合された塗料の場合かなり濁った色で残念ながら使いものになりませんでした。模型に塗る色の調色はなるべく原色同士の色で調合を行わなければなりません。少しでも白、黒が入ると色が濁り宜しくないです。ムサシノモデルはそう考えます。当店のJR貨物の更新機の車体色ライトパープルで理解いただけると思います。濁りの無いローズピンクを調色して作ったいくつもの色の中からを最終的に絞り込んだ、国鉄時代、現行EF81 81号機用ローズピンクから作った、二枚の手板をATMに送りそれに合わせてATMサイド(朴社長)で調色して送って貰った手板と車体を持って81 81が尾久からEF65の検査で秋田まで引っ張って行くという情報によりタクシーを飛ばし尾久に到着。すると出発前の81 81がロクゴーを従えていました。





2月初めの夕日を浴びています。オー美しいローピン。

で、先回りして大宮へ。


するとやって来ました。
 
早速色の確認。勿論車体に触れぬように浮かして行います。

1103号機を従えて。

ほんの少しの停車の後出発して行きました。

国鉄EF8181号機お召し仕様
手板は国鉄、現行81 81と2枚、それと塗装した車体でチェック。国鉄時代のローズピンクは少し明るく、現行のローズピンクはそれより重い色で用意。チェックの結果は色味は申し分なくOKでした。しかし実機のローズピンクは用意した現行ローズピンク手板見本より暗く結局は国鉄時代用ローズピンクを現行81 81に、国鉄時代はそれより少し明るく軽い感じで仕上げる事にいたしました。再生産ではこの苦労が無いのでおおいに助かります。いゃー、色作りには何時も頭を悩ませ凄く時間を費やしています。模型は最後は色で決まりますから。


FIN