制作裏話

第25話 何だか全く頭が混乱したお話 2024.9.16



今現在EF62の発売が秒読み?、となっていますがプロデュースの方ではEF15がムサシノモデルの得意技、”重箱の隅を楊枝でほじくる”がさく裂中でした。それもほぼ終わり余勢をかってEF15/16の1次型の写真とにらめっこをしています。今から20年ほど前にもEF15を製作しようと横川のEF15 165号機と水上のEF16 28号機の取材を行っています。EF16の取材は12月に行ったので15分採寸や写真撮影。そうすると手足が寒さでかじかんで動かなくなるので道の駅のストーブ前に一目散。手足が温まったら又EF16に突撃とこれの繰り返し。当然正面の寸法を採寸したのですが正面窓1つ取っても巻き尺を当てて見るとこれが割り切れない変な寸法ばかり。

モーターへのジャンクションも標準型と異なる。

側窓も変な寸法。なんじゃこれはと匙を投げています。

その後2016年にも気を取り直してもう一度取材に出かけています。

今回EF15の標準型をプロデュースしてみて日立製EF15 1次型から車体の低い1,3,4,5,7,8福米型をこちらで図面を引くとどんな感じかなと。EF15の車体高の違いは台枠の厚みの差で厚い、低い、標準と変化しています。これはサイドベンチレータ下のスペースを測ると直ぐに判ります。問題は正確な正面窓の高さ位置と側窓の高さ位置です。正面はHゴム窓に改造されています。これらをCADにより微妙な位置取りを写真と睨めっこしながら決めて行きます。標準型を先に片付けておくとやり易いです。問題は何時作るの、小売価格は、生産数は、で今更売れるんかいなと。EF16唯一の保存機である28号機、それにしても私たちが取材した時の惨状たるや言葉では言い尽せない程酷い有様でした。窓ガラスは割られナンバープレートも盗まれたそうです。昨年クラウドファンディングにより美しい姿を取り戻しましたが誰かが見守ってあげてないといけないような日本になってしまっています。

第24話 今まで出来た事、出来なかった事、これからの事 2024.08.18

ムサシノモデルも1969年7月13日創業で今年で55年を迎えました。因みに5年待ちでTMSに広告を載せる事ができたのが1974年9月号でこちらはもう直ぐ広告掲載50年になります。一瞬の出来事の様ですが”思えば遠くに来たもんだ”です。こんな小さな町の模型屋さんが何とか生き延びて来られたのも皆様のお陰と心得ている次第でございます。その間世の中は変わっていき、当時街中に普通に沢山有った多くの個人商店はコンビニ等に、例えば模型店の場合はネットショップ、量販店の前に高齢化も手伝い次々と廃業していきました。大手のプラ製品等はまるで問屋が小売りをしているのも同然です。個人商店は大変です。そして多くの懐かしい名前のメーカーも同様に消えて行きました。当店は外国型真鍮モデルで一世を風靡した後、縁あって韓国メーカーとタッグを組みインポーターとして30年、何とかここまでやって来られましたが私も人生の第4コーナーを廻ってしまった身。残された時間の中で絶対これからかたちにして残して置きたい面々と、申し訳ないけどもう諦めなければならない面々、過去に作りたくても時代がそれを許してくれなかった面々と有ります。まずこれだけは石にかじりついても製品化すると決意している面々。なんか又大法螺を吹いているとか、オオカミ少年とか言われそうですが今まで休みなく何かしらの製品を出し続けて来た訳でも有りますし、そういう外野は無視、中島みゆきのファイトです。20年前にEF66に引き続いて製作する予定でいたEF15,EF62,EF63からまず、もう発売真近のEF62,そして来年発売となるEF15。本当に長い道のりの末にやっとたどり着けたと思います。そしてEF64 1000番台までは製作する順番が決まっています。その先です。絶対にものにして行きたいプロトタイプ。EF66,EF210,EF63,ED78,EF71そしてEF58。アーやっぱりオオカミ少年だと自分でも思ってしまいます。何か険しい高峰が連なる山脈にへばりついて這いつくばって、これだけで何年かかるか分かりません。ニッポン国がこれ以上地盤沈下しない事を望みます。申し訳ないけど諦めなければならなかったのがまずOJのC55,D51。これは韓国の水谷君を刑務所に放り込みました。これからアートホビーズで作ったとしてももう売り買い出来る価格設定が難しいです 。EF52,これは是非作りたかった。そしてEF10角ボディーにHT56A,鋳鋼台車HT58,EF12のグループ。この手のプロトタイプはもう戦後生まれのEF15が限界でこれらの良さを理解できるファン層がもうかなりいなくなってしまいました。勿論少しはいらっしゃいますが。そしてED60/61/62これはボーダーライン上かなーと感じます。後は編成物。もう20数年前、ダブルルーフ客車は凝りに凝って作り上げた自信作で価格も50.000円台前半となるべく抑えましたがムサシノ製品は高額高価とレッテルを貼られたりしました。今から20系客車を凝った作りで製作しようとしても価格も高騰、なにより製作出来るメーカーが消滅の危機に有りでもう無理。時代が許してもらえなかった面々.6500,7950,18900とこれを真鍮製モデルの量産品で玉砕覚悟で製品化するにしても8850が最後、もう時代がずれてしまいました。とまあ小さな町の模型屋さんの妄想にお付き合いいただきまして誠に有難うございました。で図面が仕上がっているED14,DD13がありました。

第23話 プレス抜きボディーとエッチング抜きボディー。どっちが良いの? 2024.07.27

当店製品のEF81やEF64.EF65をお買い上げ頂いたお客様は、車体側面の塗装面がまるで鏡面仕上げを行った様なこれまでにない美しい平滑さであることに気付くと思います。これは非常にハードな硬い材質の0.5t真鍮板エッチング抜き加工でスパッと抜いて車体が形作られているからです。エッチング抜き技術もその昔と異なり0.5tの真鍮板を寸分の狂いなく抜いています。プレス抜き加工では金型を使用しもっと柔らかい材質の真鍮板を抜いて行くので多少の歪みが出てしまいます。水研ぎを行い平面性を追求する方もいます。兎に角硬い材質ですがこれをプレス加工により、実機図面から忠実に模型化図面として作図されたスペック通りに大屋根R、小屋根Rを正確に再現しています。当店の考える、機関車の顔は縦長(精悍)に見えなければペケであるを実践、実機をそのまま写し取った様なモデルの表情となっています。これはメーカーがアングロサクソン(アメリカ)、ゲルマン(ドイツ)の仕事でモデルもリアリズムで有る事を叩き込まれた事から来ていると思われます。勿論ムサシノモデルではそこに1/87ではない1/80の表現方法を韓国の幾つものメーカーに植え付けて行きました。当店製品が同じ韓国製でも日本メーカーの製品と比べて違和感が無いのもその為です。話が脱線しました。車体内側には床下を止めるアングル部分を含む硬く厚みのある部品がガッチリ付きます。こうして最終的に完成した車体に実機通りにディテーリングされた床下がピタリと隙間なく気持ちよく嵌ります。


ATM朴社長の話として後のOJモデルは当店の製品を直接見て参考にしたそうです。






この相乗効果によりかなりガッチリとした車体となります。この床板には中間台車上部と床の隙を埋めるためのギミックがあります。また当店製品は背面のパネルまで再現した運転室の作り込みも日本型としては初めての試みでした。このキャブインテリアの着脱の利便性等もよく考えられた設計となっています。充分過ぎる強度を鑑みながら多くのアイデアを盛り込んでいるのがムサシノモデル製品です。


 

第22話 EF62 1号機のベンチレータの縁取り 2024.06.12

ベンチレータの縁取り表現について。

ご存知EF62 1号機のベンチレータをほぼ正面から見ています。

下方から見上げたところ。

斜めからの図。

近寄って見るとこんな感じです。

当店製品のベンチレータの縁取りは0.2mm厚です。

この表現が結構難しい処ですがかなり良く再現しています。

こんな感じです。

前期型、薄くグレーをスプレーしたので縁取り表現が良く解かります。

お召し11号機のFRPモニター屋根の塗り分け。外周のみ白く塗られています。

画像がボケててどうもすいません❕。

第21話 旧型電気機関車の屋根の色は? 2024.05.30

ED17/ED18の屋根の色の考察

今まで製品化してまいりました旧型電気機関車の屋根の色は概ね1960年代の半ば頃から黒塗装となっています。1966年、国鉄大宮工場において、EF56はSG煙突の改造時に、EF57はSG→EG改造時にブドウ色1号からブドウ色2号に塗り替えられた際に屋上が黒塗装化されています。現在製作中のEF15も1970年代以降の姿になりますので広島、龍華以外は全て全体検査は大宮工場持ちとなりますので屋根は黒塗装になります。それではメインテーマのED17/18です。ED17は大宮鉄博に1号機が保存されていますがこれも1960年代半ば以降の大宮工場での塗装を再現していて屋根と台枠以下が黒塗装になっています。

屋根の色、黒いですね。台枠も黒。

でもよ~く考えてみなくても屋根の色を黒く塗装したED17の模型ってうちのを含めて見たこと有りません。で、ど~もすいません。これ甲府機関区、身延線のED17になります。念力を使い残された数少ないED17の屋上が写っているカラー写真とにらめっこして検証して屋上の黒色塗装を確認しました。ほんとに疲れます。では浜松工場持ちのED17/ED18はどうだったのでしょうか?。

エッヘン。うちのOJ,飯田線ED19です。屋上は黒塗装です。


名古屋リニア鉄道館に保存のED18 2号機です。屋上黒塗装です。

おや、モニター取り外し上部のみブドウ色2号になっています。

しかし綺麗に整備されています。

モニター部を拡大して見ます。やはり取り外し部分のみブドウ色2号です。

大宮のED17 1
号機のモニター。取り外し上部の形状が解かります。

飯田線現役時代のED17,ED18を調べて見たところ保存展示されているED18 2号機と全く同じ。つまり国鉄現役時代、少なくとも1970年代の塗り分けを忠実に再現している事になります。台枠は黒です。なおJR東海時代、ED18 2号機の台枠はブドウ色2号になっています。今度製作のED17/ED18は以上の塗り分けで製品化されます。1965年5月に仙山線に行ったED17 21/22号機は転属に際して前面エプロン等の改造は大宮工場で行ったと考えられますが仙山線で撮影されたカラー写真では屋上モニターがブドウ色2号で写っているので屋上も含めてブドウ色2号とします。



 

第20話 追いかけてパーイチパーイチ。2024.05.19

追いかけてパーイチパーイチ

EF81の再生産の準備が始まっています。でも今回は最初のEF81製作でのお話。コロナが日本で豪華客船から始まる頃、EF81の半田付け組み立ても終盤になりいよいよ塗装の準備として色見本を作ることになりました。あ~あ赤2号と赤13号ローズピンク。モーレツに苦労した苦い思い出が残っています。ATM社の朴社長共々、色見本を何十回も作ってはダメ、今度もダメの連続で疲労こんばい。おめめが相当悪くなりました。作った沢山の赤の色見本を見ていると茶色に見えて来て頭が変になりそうになります。EF81 赤2号北斗星色は上野駅でずいぶん見て来ました。それで初めは簡単に考えて取り掛かりましたがしかし、色の調合を始めてみると北斗星の赤2号は実物通り調合した色では模型に塗装した場合に、あまりにも暗く重い色調となってしまいます。模型では実機を少し離れた場所から見た時の印象。例えば車両基地等での撮影会や列車を従え走って来る時の色の印象。ムサシノモデルの場合は5月の午前中、順光での少し明るく少し鮮やかな光線下での印象を想定して調合としています。結局の処、色は対象物に当った太陽光の光の反射が目に入った時の印象で決まって来ます。晴天か、曇天か、曇り空か、午前中か、午後か、春夏秋冬で又異なって見えます。印象派のモネみたい。かように模型の色の調合は一筋縄では行きません。赤2号の国鉄時代、EF71、ED77,ED78,等郡山工場担当の機関車の赤2号はどうだったのでしょう。これは50系客車と全く同じ色だったそうです。地元の模型ファンのお話で磐越西線で全検出たてのED77が新製配備となったばかりの50系の客車列車に乗車していたそうです。止まった駅のホームで両者の色に興味を持ち下車して確認した処全く同じ色だったそうです。このお客様、たまたま国鉄時代郡山工場の赤2号の手板見本をお持ちでしたので興味深々でお願いして拝見させて頂きました。それが当店のEH500(他のメーカーでは有りませんよ)の色味より少し濃かったのです。ぎょぎょぎょ、じぇじぇじぇ、でした。最初のEH500の実機の赤は国鉄時代の赤2号だったのでした。当店のEH500はDF200初回生産分の失敗に懲りて以後グレーはマンセル番号値でワンポイント半明るい方に振っています。実機はその様に見えます。JR貨物の指定マンセル値で塗装しますと暗く必要以上に重い印象となります。そう云う目で模型と実物の色を比べて見ると面白いですよ。そう云えばEF71、ED78を北斗星、秋田色で塗っちゃった製品が有りました。因みに北斗星赤2号も大宮工場、秋田総合車両所(土崎工場)では色調が全く異なります。


EF81 98北斗星色、実際の製品より暗く写っています。

最初に調べた実物の色に忠実に調合された塗料の場合かなり濁った色で残念ながら使いものになりませんでした。模型に塗る色の調色はなるべく原色同士の色で調合を行わなければなりません。少しでも白、黒が入ると色が濁り宜しくないです。ムサシノモデルはそう考えます。当店のJR貨物の更新機の車体色ライトパープルで理解いただけると思います。濁りの無いローズピンクを調色して作ったいくつもの色の中からを最終的に絞り込んだ、国鉄時代、現行EF81 81号機用ローズピンクから作った、二枚の手板をATMに送りそれに合わせてATMサイド(朴社長)で調色して送って貰った手板と車体を持って81 81が尾久からEF65の検査で秋田まで引っ張って行くという情報によりタクシーを飛ばし尾久に到着。すると出発前の81 81がロクゴーを従えていました。





2月初めの夕日を浴びています。オー美しいローピン。

で、先回りして大宮へ。


するとやって来ました。
 
早速色の確認。勿論車体に触れぬように浮かして行います。

1103号機を従えて。

ほんの少しの停車の後出発して行きました。

国鉄EF8181号機お召し仕様
手板は国鉄、現行81 81と2枚、それと塗装した車体でチェック。国鉄時代のローズピンクは少し明るく、現行のローズピンクはそれより重い色で用意。チェックの結果は色味は申し分なくOKでした。しかし実機のローズピンクは用意した現行ローズピンク手板見本より暗く結局は国鉄時代用ローズピンクを現行81 81に、国鉄時代はそれより少し明るく軽い感じで仕上げる事にいたしました。再生産ではこの苦労が無いのでおおいに助かります。いゃー、色作りには何時も頭を悩ませ凄く時間を費やしています。模型は最後は色で決まりますから。


FIN
 

第19話 EF16の水タンクは無用の長物⁇ 2023.07.14


EF15のプロデュースついでに俗に福米型と呼ばれるEF16について少しお勉強して見ました。ご存知の様にEF15 1947年製の1次量産車(1~8日立製、16~23川車製、24~33三菱製)から1~8(日立製)、20~23(川車製)の12輌が1949年、上越線各機関区より福島機関区へ移籍、直流電化された福島~米沢間で使用されることになります。福米間は名にし負う豪雪地帯です。色々と豪雪地帯対応仕様に改造の上活躍を始めます。しかしEF15の敵は雪だけではなく33パーミルの急こう配で有名な板谷峠越えが待ち構えていました。福米専用機として製造された国鉄最後の新製大型蒸気機関車E10の挑戦も退けるほどです。それ以前は4110が長らく格闘していた路線です。で、下り勾配でブレーキシューを使いまくるわけです。その結果E10同様にブレーキシューで車輪のタイヤを擦りまくることになり発熱、車輪のタイヤ緩みが発生となります。これはいかんとデッキに水を入れたドラム缶を置いて水を撒いたとか、それでは全然足りないと屋上に大きな水タンクを乗っけてそこから各車輪に水をぶっかけて少しでも熱したタイヤを冷やそうとしました。それでも結果的にダメだったようです。それに夏は良いとして冬は水完全に凍結します。蒸気機関車の重油タンクの場合ヒーターが入っていて温めて流動性を増した重油を燃焼室に送りますが水はもしヒーターを入れても散水口までの間のパイプの中で凍結してにっちもさっちもいかなくなりますね。そこで登場したのが回正ブレーキ。戦前EF11での使用実績も有ります。この機構を搭載することで此処に晴れてEF16となりました。そこで疑問が。色々と調べても水はどうしたのかどこにも記述は有りません。勿論私の勉強不足かもしれませんが。で残された写真でよくよく調べたところ水タンクは空のまんま乗っかってるだけという結論に達しました。水タンク側面中央下部に水取り出し口の様なものが付いています。そしてランニングボードを挟んで真っすぐ車体の肩に先端を水タンクの方に曲げたパイプが車体から突き出ています。EF16に改造される前にはこの間をパイプかゴムホースか何かで結んでいたと思われます。そして水の締切コックは車体外板内側に沿って下りてきたパイプの途中に設けたと考えられます。でも証拠になる写真が見つかりません。で台車の方を観察してみると太い管が台車上部を走っていますが途中太いホースと分岐させる為の継ぎ手も見えます。この太いホースから車輪に向けて水をぶっかけていた様子がまざまざと想像できます。この部分は取り払わなかったようです。必要な時は水タンクとパイプをゴムホースか何かで結んで散水したのでしょうか。でも本当のところはいったいどうなんでしょうか⁈。
 
 

第18話 弱小個人営業模型店はつらいよ 2023.7.13

 
此処のところ政府日銀の相変わらずの逆噴射で円相場がた落ち、暗い日々を送っています。最近、円がウォンに対していきなり10%切り下がりメーカーのATM社共々顔が青くなりました。EF62の価格を発表価格で維持できるかどうか円相場の動きをかたずをのんで見守っている状況です。当店の製品はプロデュース期間が異様に長く例えば今回発売しましたワフ21000/22000にしましても3年かけてやっとこさひねり出したようなもの、物好きでやっているようなものでこれではとてもご飯は食べられません(パトロンは残念ながらいません)。最後の最後に儲けが余りにも少ないので少し価格を上げさせて貰いました、¥126.000。多くの模型ファンの方たちにお買い上げ頂こうと何時も奮戦しています。因みに他社のOJワフの価格を調べて見たところI社が1999年発売と24年前で¥98.000。K社が15~6年前の発売で¥100.000弱でした。ネ、今回のワフが手間暇時間を掛けた割に如何に儲からないかが良く判る数字です。円の価値下落、世界の物価上昇を考えると超バーゲンプライスです。大分以前の2009年にアートホビーでC57を製作中の事、アジン精巧社 趙 社長に1990年頃アジン精巧でFEF社向けに製作したD51の船積み価格を教えてもらったことが有ります。ムサシノモデルが設定したC57の小売価格¥610.000に対してその20年ほど前、真にバブルの頃発売されたFEF社のD51の船積み価格はC57の半分の値段でした。流石バブル時代は凄いなと思いました。例えてC57に¥1.200.000の小売価格を付けるようなものです。でも¥610.000のC57は高い高いと随分言われました。C59は原価がアップしたにもかかわらず¥620.000で価格設定しました。そしてC62です。全ての物の価格が既にC59の頃とは様変わりしていました。C62はプロデュースに5年かけています。アートホビーズには京都。大阪と2度に渡り取材で訪日してもらっています。図面、資料、写真と集められるものすべて集め膨大な資料群を精査、検討の上部品の作図、考証等などを行い何年もかけて作り上げた作品です。しかし折角良いものを作っても買ってもらわなければ何の意味も有りません。また直前にS社で60万円台後半にてC62が発売されています。本来価格設定をかなり抑えたC59と同じ形で小売価格を設定するとC62は¥840.000になります。しかしこれではお客様に買って頂くのは難しいと大分悩んだ末に¥720.000と云う価格を導き出しました。これ他社のC62の100倍以上のプロデュース時間を掛け、メーカーのアートホビーズもその5~6倍の製作時間をかけて作り上げたものです。でもこれも高いとクレームを随分もらいました。模型製作者のお給料が10数万ならOKです。でも世の中そういう訳にはまいりませんがそこの処のご理解をしていただくのは至難の技です。因みにその後C11の価格発表を行った後C62が¥720.000なのにC11が¥600.000近くもするのは納得できないという人もいました。模型だけにさにあらず、物作りに対する必要な物の価格、人の手間、下請けへの支払い、会社工場を経営していく上での諸々掛かる必要経費(光熱費、人件費、保険代等)メーカー側でもお金だけでやっていける仕事ではないのです。そこには情熱というものが大きくかかわって来ます。
 

第17話 NC盤を使って出来る事

先日ご紹介したEF62ですがATM社では屋上の実機におけるFRP製モニターの形状を正確に再現する為にプレスによる絞りではなくアルミをNC盤による切削加工をおこない製作しました。真鍮では重くなりすぎ裏側も削り込む必要が有りコストが大きく上昇するので軽量のアルミの無垢材を切削したとの話です。そこから話は35年前に戻ります。当時お客様より米原のEF58を製作したいとの事で車体の基礎的な組み立て加工のみで5輌注文を請ける事になりました。サンゴさんのキットを加工するよう指定されましたがその要求はEF58のフロントフェイスの縦横に入る稜線を隅柱部分に至るまでシャープに削り出すというものでした。サンゴさんのお面の研ぎ出しを始めましたがこれはカット面がカミソリの様に薄く加工中に研ぎ出しに耐えられない事が分かって来ました。又ある程度まで研ぎ出しを行ってくると失礼ながら五八の顔に全く似ていない事が露わになり加工続行中止となりました。そこでひかり模型さんと天賞堂さんのキットを比べどちらか良い方を選び一から加工することになりました。結果天賞堂さんのキットを加工することに決定しました。理由はお面の板厚が厚く加工に耐えられる事とやはり顔が一番似ているという結論にいたったからです。この時は3社のキットの各パーツ類を全部チェックしましたが一番驚いたのは皆寸法が違い特に屋上モニターの寸法等大きく皆バラバラな事で?でした。そして苦労の末、十字の稜線に隅柱そして平面まで元のプレス面を残さず研ぎ終わったお面を車体に取り付け乗務員ドアー、側面ベンチレータやモニター、ランニングボード等大体の組み付けが大体終わったところ、たまたま所要で来訪して見えたのが当時のプレスアイゼンバーンの松本謙一氏でした。当時1/87 12mmでEF58の製作発売に意欲を燃やしていた時でした。そうです、まだ皆凄く若かったのです。松謙さんに出来上がった5輌分のゴハチの車体を見て貰いました。そしてこの事がきっかけとなりゴハチのお顔は研がないといけないとなりプレスアイゼンバーンのEF58のお面はフクシマさんで研ぎ出し仕上げをされることになりました。その後天賞堂さんでも、ピノチオさんでも。しかし僅か数輌分を細心の注意を払って研ぎだすならまだしも、数百輌分の量産品のお面を研ぎだすのでは精度、均一性の問題で満足な品質管理が完全には行えません。ムサシノモデルではこの問題が解決しない限りEF58 プロジェクトに手を付ける事は出来ませんでした。解決方法をじっと待っていました。10数年前に先進社でOJ EF66を製作した時オデコと前面腰板部をミーリングで削り出して作りましたが1つ削り出すのに気が遠くなるような時間が掛かってこの手は使えないと思いました。その後ATM社朴社長にも色々と研究して貰っていました。そして先日出来上がってきたEF62の実機FRP製モニターです。これはと早速製法をATM社に問い合わせたところ3D-CADによるNC盤加工で有るとの返事です。当然真鍮加工も出来ると云う事で、それではゴハチのお面をこの製法で削り出し可能かと問うた処可能ですと。その時、瞬間的にEF58のプロジェクトはスタートしたと同じでした。頭の中で考えたことは3D-CADにより4種類程お面を作り分けると云う事。隅柱は大理石の柱のR面の様な仕上げでその傾斜面との境には前面からのエッジラインが綺麗に回り込んでくる。想像しただけでも良い気持ちになって来ます。大変ですが。EF58-61号機だけでも時代により何種類か作り分ける、高二タイプや下関、米原タイプ等と膨らむ夢想もここまでで止めておきます。進展が有るようでしたらその時はハッキリと告知させていただきます。

第16話 色の調合はつらいよ 2021.11.07

今現在、ATM社ではEF65の車体の半田付け組み立てが終了し青15号、クリームの組み合わせのタイプから塗装が進んでいます。なお、下廻りはモーターまで組み込んだ状態で完成しています。そこでムサシノモデルに残された最後の仕事が新しいカラースキームの新色の色見本を作る事。ものはEF60 19号機やすらぎ色、EF65 116 JR貨物試験塗色、EF65 123ゆうゆうサロンの登場時赤20号に使用する計6色です。早く作らねばと心で思いながら昔の様にサッサッと体と頭が動かず日々は刻々と過ぎていきます。ATM社の朴社長からは見本を作るので早く色見本を作ってと矢の催促となりこれはいよいよまずいと観念、何とか見本を完成させカラーチップを送ることが出来肩の荷を下せました。





EF65 19号機 やすらぎ色の車体色。

同じく赤と青の帯の色。

毎回色には大変苦労します。ちょうど20年前にはEH500の赤を作るのに納得できる色が出来るまで考えるのに数週間。丸3日をかけてラッカーを調合、納得の出来る色が完成しましたが、日立のベビコンコンプレッサーと岩田のスプレーガンで何回も調合を重ねては手板に吹き付け塗装をするので防塵マスクをしていてもやはり頭から鼻の孔まで汚れ、手はラッカーまみれになります。作業終了後が夜中で疲れて入浴中、手に付いたラッカーをゴシゴシ落としていたところほんの少しの弾みで右手中指の靭帯を切ってしまいました。直ぐに手術で靭帯を繋ぎましたが半年のリハビリを行いましたが指はもう真っすぐには戻りませんでした。しかしEH500の赤の再現度は各社製品の中で最高の出来です。今はもう吹付塗装は身体の健康に良くないので容器の中での調合となりました。それでも昨年はEF81のローズピンクと赤2号には物凄く苦労しました。実際の赤13号は濁った色で実物に塗装する分には良くても模型的には全く使い物になりませんでした。模型は見ていて美しく気持ちが良くならないといけません。ローズピンクは幾つか見本を作り丁度昨年の2月、EF81 81号機が土崎までEF65を引っ張って行くというので尾久までタクシーを走らせ夕日を浴びた81号機を確認。その後大宮へ先回り、3分停車でホームに入ってきた81号機に直に(少し浮かせて)手板チップを当て色のチェックをして実物が実際の印象よりかなり濃いピンクであったのを確認、模型的にアレンジし少し明るく仕上げ,自分の心中で納得できるまで作業をおこないました。ATM社の朴社長は赤2号の色作りの段階で何十種類と微妙に作り分けた赤を見続け眼を悪くしてしまいました。赤ばかり見ていると赤が茶に見えてきます。そして私も段々色作りが重荷になり億劫になって来る訳です。しかしムサシノモデルの製品の色は全て私が調合した見本を基にメーカーで塗料を調合して製品に塗装したものです。JR貨物の更新色のライトパープルは暖色系の色とすべく韓国の塗装工場で私が直接調合しました。塗色は最後の出来と見た目を左右するのでここはどうしても手を抜くことは出来ないところです。

今回はEF65 123号機の赤20号が大変難しい色でした。同じ赤20号と云ってもサロンエクスプレス東京の赤20号とは塗装をした工場が鷹取で色味が異なります。多くの写真から自分の中でイメージを作って行き3日程かけて完成させました。EF58 61号機のため色を小豆色に振った様な色と云えば良いのでしょうか。品のある良い色です。製品の完成が楽しみです。