昔昔その昔、しなのマイクロと云う名前の模型メーカーが有りました。ベテランファンには懐かしい名前です。まだ1970年代後半に16番のキットを連発し全盛期を誇りその後金属製Nゲージへと軸足を移していき今その名前はマイクロエースに微かに残っています。好奇心旺盛だったうちの親父さん、風の便りになんでもしなの何とか云うキットメーカーが中央線沿線に有るらしいと吉祥寺に有った歌川模型の親父さんを巻き込んでどうしたかは判りませんが二人して中央線沿線をウロウロしたようです。結局判るわけないですよね、ウロウロしただけで。これは立川に有った城山模型さんがしなのマイクロに関係していた事から中央線沿線が出て来たようです。私はまだ高校生です。その後ひょんなことからそれなら柴又に有ると教えて頂いたのがピノチオ模型の先代の御主人でした。昔の模型屋さんの親父さん連は皆仲がよかったですよ~。横浜のトビーさんや高砂のニワさんも家のおふくろさんが仕入れで訪ねて行くと大歓迎でとても親切にしてもらったものです。 で、親父さん柴又のしなマイクロのマンションに電話の上で速攻で訪ねて行きました。 社長の若林さんは電話で問い合わせの上でわざわざ訪ねて来た模型屋さんはうちが初めてとの事で大感激して貰い、その後の長い様な短い様なお付き合いが始まりました。 EF71,EF64,DD16のキット(素材みたいな)等懐かしい思い出です。 品物を納品しに来てもらった時にはまるで故郷に戻ったようだと言ってもらっていましたが。 それからは毎月の様に大型企画製品を連発、TMS誌には毎月の様に製品の紹介記事が掲載され、まあ凄いパワーでしたが。ある時製品の袋詰めが間に合わないので手伝ってもらえないかと云う事でうちの親父さんと弟の二人で柴又まで出向いていきました。 そこではT社等多くの完成品等がバラバラにされていたそうです。 例えばムサシノモデルのEF62は最初のサンプルモデルが出来たのは10年前、実際製品の製作に着手したのは12年前の事です。 いくらキットとは云えども数人で毎月の様に大型企画製品を出すことは不可能です。 何のことはない実機図面、採寸等の実地調査もへったくれも無かったのです。 ノギスで寸法を測っていたようです。 いい時代でした。 これらの事をメーカーそれぞれの味付けが異なる等と言っていられた時代、本物の寸法で作るとイメージと違うものになる等と言っていられた時代。 国鉄明細図面を基に実地調査を行い模型化図面を作るなど夢にも思わない、要求もされない良い時代でした。ホビーモデルの松本氏と若林氏にうちの親父さんの3人で関西の模型屋さん廻り、行商みたいなこと事を何回かしています。 若林氏、後年あの頃が一番良かった楽しかったと回想していたそうです。 うちの親父さんにとっても良い時代でした。 この少し後に勃興して来たのがしなのマイクロの好敵手となるフェニックス模型店でした。 私もここの御主人夫婦(お兄さんと呼ばせてもらっていました)やお爺さん等と親しくお付き合いをさせて頂きました。 堀切菖蒲園駅下りて直ぐ、小谷野小学校前のお店には私もよく通わして貰いました。 伺うと色々と話は尽きず3時4時間とお店にいたと思います。 私にとって懐かしい思い出です。 ここでよく覚えていること事が有ります。お店に伺っていろいろお話ししているとしなのマイクロからEF65のトータルキット(コンプリートキットが正しい)がちょうど発売になったと云う情報が飛び込んできて話題もちきりになりました。 ああ皆若かった、私達にとって鉄道模型青春時代でした。

