昔昔その昔、しなのマイクロと云う名前の模型メーカーが有りました。ベテランファンには懐かしい名前です。まだ1970年代後半に16番のキットを連発し全盛期を誇りその後金属製Nゲージへと軸足を移していき今その名前はマイクロエースに微かに残っています。好奇心旺盛だったうちの親父さん、風の便りになんでもしなの何とか云うキットメーカーが中央線沿線に有るらしいと吉祥寺に有った歌川模型の親父さんを巻き込んでどうしたかは判りませんが二人して中央線沿線をウロウロしたようです。結局判るわけないですよね、ウロウロしただけで。これは立川に有った城山模型さんがしなのマイクロに関係していた事から中央線沿線が出て来たようです。私はまだ高校生です。その後ひょんなことからそれなら柴又に有ると教えて頂いたのがピノチオ模型の先代の御主人でした。昔の模型屋さんの親父さん連は皆仲がよかったですよ~。横浜のトビーさんや高砂のニワさんも家のおふくろさんが仕入れで訪ねて行くと大歓迎でとても親切にしてもらったものです。で柴又にあったしなマイクロのマンションに速攻で訪ねて行きました。社長の若林さんはわざわざ訪ねて来た模型屋さんはうちが初めてとの事で大感激して貰い、その後の長い様な短い様なお付き合いが始まりました。品物を納品に来てもらった時にはまるで