C62のこと
もう30年以上昔の話なります。知り合いに鉄道ジャーナル社で制作した北海道山線でのC62の活躍と乗務員の苦闘を描いたドキュメンタリー映画「雪の行路 急行ニセコ C62 重連」を見せてもらったことが有ります。今でもDVDで市販されていると思います。この時見せてもらったのが特別な16ミリフィルムバージョンで大きなスクリーンに映し出されたその映像の鮮明さと物凄い音の迫力、何よりよく言われるジェット機の様な凄まじい走行音、爆音に圧倒されたのでした。正に戦場さながらのキャブ内の機関手と機関助手の緊迫したやり取りの模様も迫真の映像でその爆音と共に聞こえるジェネレーターの排気音、コンプレッサーのカチカチとした駆動音が暫く耳から離れませんでした。ユーチューブ等で見られる空撮映像ではそのド迫力の片鱗しかわかりません。‘もわっ’とした雪の中の走行風景写真では絶対に解からない世界です。北海道のC62というと実機の活躍などとてもとても年齢的にもお金も知識も何も無かった身(清く正しく美しくではないなあ)としては先ずその時の強烈な印象が今以て大きなものとなっています。後年まさか自分がC62を、それもOJでプロデュースし製品化するとは夢にも思いませんでした。梅小路には何度も行きましたが現役時代を知らない人たちでは今のC62を見てもキシャポッポ的感覚しか沸かないと思います。しかし空撮の映像にも漂うその悲壮感は山線のC62にしか見られないものです。後にシャルル・ミュンシュのライブ録音でオネゲル晩年の(若い頃の作にパシフィック231がある)第五交響曲「3つのレ」のフィナーレを聞いた時にペシミスト・オネゲルの悲壮感がそのままC62山線での映像に重なりました。この楽章、格闘の末最後はC62と同じく忽然と消え去る様に終わります。

写真の2号機は北海道山線における悲壮感の欠片もない東海道線は宮原機関区に所属し特急を牽引していた時代のお姿。ウォルトンのコロネーションマーチが似合いそうな晴れやかさ。











企画段階で宮原機関区のエースナンバー29号機も製作するつもりでしたがアートホビーズサイドでもうこれ以上バージョンを増やすのは無理死んじゃうよ~と言われ粘った甲斐もなく製品化に至らなかった事が唯一残念だった事です。


















もうこういう模型を作る事は色々な面で難しい時代となってしまいました。自分の年齢もありますし。