ラインナップ NO.51                   2014.9.29
道省オハ32000系(オハ31)について(説明文)
2014年10月10日発売
税抜価格74,000円

●オハ32000系の概要

 オハ32000形という形式は、昭和3年(1928)11月の客車称号規定改正後のもので、製造当初はオハ44400形、後の昭和16年(1941)の称号規定改正によりオハ31形となった、国鉄(当時は鉄道省)最初の鋼製客車である。製品は主に昭和6年(1931)空気制動機の取り付け完了から、昭和15年(1940)の三等等級帯(いわゆる赤帯)廃止までの期間を想定して模型化しているので、32000系の番号と等級帯を入れている。

 関東大震災の被害もあり鋼製車体採用の計画は大正12年頃から始まったが、当時は木材も安く入手でき列車重量が増えるということもあって、あまり進展しなかった。しかし大正14年(1925)自動連結器取り替えが完了し、また空気制動機の採用も具体化してきて列車重量増大に対応できる見通しもついたので、大正14年から不燃化と車体強度の増大、耐用年数の増進を目的として鋼製客車の製作は具体化した。大正15年(1926)9月山陽本線にて豪雨による築堤の崩れで特急列車が脱線転覆する大事故が発生、多くの死傷者を出した。原因の一つが客車の木造車体の強度にあるとされた。これを受けて鉄道省では翌年からは木造車の製造を中止、鋼製客車へと切り替えられた。昭和2年に製造が始まっていたナハ22000系最後のグループは車体は木造ながらトラス棒台枠から魚腹台枠へと変更、ドア、デッキ部が35mm、客室部が30mm延長された。このグループは昭和3年の形式称号改正によりナハ23800系と別形式に分けられているがオハ32000の車体外形はこのナハ23800系のスタイルに準じており、リベットの頭が目立つ以外内装もほとんど木造客車と同一である。ただ側面鋼板の内側にはフェルトを張るなどして断熱を図っている。台枠はオロ、オハ、オハフ、オロハがナハ23800系の魚腹台枠UH15を改良の上アンチクライマーを取り付けたUH17を採用。オハニには荷物ドアの関係で一部形態の異なるUH19を使用。スニ、スユ、スユニにはより強度を増したUH18を使用している。魚腹台枠というのは英語の”Fishbelly underframe”の直訳だが、言い得て妙の感がある。アンチクライマーは後に実際には効果がないことが分かり、重量軽減のために取り外した車両もある。台車は大正14年基本TR11Bを継続して使用し、郵便車・荷物車には同型で釣合梁を強化し12トン長軸を採用したTR13を用いた。オハニ35500形(オハニ30)の荷物室側及びスユ36000形(スユ30)・スユニ36200形(スユニ30)・スニ36500形(スニ30)の両端はデッキではなく、鋼製客車の新設計で後の形式にも続いている。端部のドアも引き戸になっており、車内を広く取るためと思われる。スニ36500形の一端には、自転車置き場が設けられている。また車掌室の窓は、オハフ34000形(オハフ30)も含めて下降式となっている。

 

 制動装置と給水装置について

 PF型空気制動装置が完成し客車への採用が決定されたのは昭和3年(1928)8月であり形式称号改正によりオハ32000となった昭和3年度予算車に取り付けられた。翌年には国産のAV型空気制動装置へと改められている。それまでにオハ44400形として完成していた昭和2年度予算車では真空制動機を付けて出場している。これらは水槽も屋根に設けられ屋根上に注水口も付けられているが、注水自体は車体下端の注水口から圧力をかけた水を押し上げる方式になっている。AV型空気制動装置が取り付けられるようになるに伴って、圧力空気水揚装置も採用された。これは制動用空気を分配し、床下に設置した水糟より洗面所・便所に給水するもので、自然降下式よりも水の出方は良くなり大きな水槽が使えるため容量も多くなった。オハ32000系では815リットルの円筒型水槽を採用したため、車体中梁と側梁の間に設置することになりカマボコ型の水槽キセが大きく目立つこととなった。このかたちは水を満載したときなどは1トン近くにもなるために車両のバランスが悪くなるので、昭和6年(1931)に楕円形水槽(容量700リットル)が開発され、水槽キセも平たくして車体中央の中梁に吊り下げる様になった。32000系昭和2年度予算車車両も、空気制動装置に換装するとともにこの平型水槽を取り付けるようになった。スユ36000形のように水使用量が少ないことからそのままとされた車両もある。

 


(1)  オハ32000 昭和2年予算車 TR−11 UF17台枠

大正15年(1926年)登場の2輌の試作車に続き昭和2年(1927年)から昭和3年に掛けて合計510輌が製造された。木造大型ナハ22000系の半鋼製車版。今回は昭和2年度予算車オハ32002〜32303を製作。当初天井裏にあった水タンクを床下中央部魚腹フレーム下に新たに設置。この時水タンクの取り付け方向により給水装置位置がトイレ寄りのものとトイレと逆方向にあるものと差異が生まれてた。その理由でエアブレーキ・システム等もそれぞれX対称に床下に設置されている。今回給水装置がトイレ寄りにあるグループを(B)、逆方向にあるグループを(A)としている。 

(2)  オハフ34000 昭和2年予算車 TR−11 UF17台枠

昭和2年(1927年)から昭和3年に掛けて165輌が製造された。3等緩急車。昭和2年製はオハフ34000〜34101の102輌がこれに当たる。

(3)オロ30600 昭和2年予算車 TR−11 UF17台枠
昭和2年(1927年)から昭和3年に掛けて合計144輌が製造された2等車で座席は転換クロスシートを採用。昭和2年製グループ オロ30602〜30701はオハ32000同様給水装置の向きでトイレ寄り(B)、逆方向(A)の2タイプを作り分けています。

(4)オハニ35500 昭和2年予算車 TR−11 UF19
昭和3年(1928年)に64輌が製造された荷物合造車。昭和2年予算車は昭和3年前半に登場したオハニ35500〜35539の40輌がこれに当たる。

(5)スニ36500 昭和3年予算車 TR―13 UF18
昭和2年(1927年)と昭和3年に84輌が製造された荷物車で昭和2年予算車はアンチクライマーが無い。昭和3年度予算車36550〜36583はアンチクライマー付タイプで初めから空制ブレーキが装備されて登場している。

(6)スユニ36200 昭和3年予算車 TR−13 UF18
昭和3年度予算車スユニ36215〜36219はアンチクライマー付タイプで初めから空制ブレーキが装備されて登場している。

 

オハ32000系客車の使用状況について

 新製の鋼製客車は幹線の優等列車に使われることが多く、特急こそ20メートル客車が主体だが急行・快速から普通列車までオハ32000系の編成が見られた。東海道・山陽の2大幹線では東京口の湘南列車、横須賀線列車。名古屋〜大阪、静岡〜姫路、岡山〜京都、姫路〜京都、C54牽引で有名な大阪〜大社間の大社急行等の区間列車から東京〜下関、東京〜大阪の長距離列車までオハ32000系が主体となって木造大型ナハ22000系、ダブル・ループ20m車の寝台車、食堂車が入った編成が数多く運行されていた。牽引機関車は昭和6年以降東海道線東京口でED53、ED54、EF50、EF52、EF53、EF54、上越線におけるC51,EF51。名古屋、京都、大阪エリアではC51、C53が代表で他に当時の新鋭機C54、C55、ローカルでは8620、C50、C11等との組み合わせも見られます。何れにしても今までのオハ31系にはED17、C50がお似合いと云う話は実物の世界では(C50の牽引は有るにせよ)大きな間違いであったと云え当時の日本の鉄路のトップスターとの組み合わせにより特急“富士”、“さくら”、“燕”だけではない戦前の鉄道黄金時代の最も良く見られた光景に欠かす事の出来ないシリーズです。昭和12年以降は戦時色も強くなり鉄道写真の撮影も難しくなり写真やデータが残されていませんが20m級客車の増備に伴い常磐線、中央線、九州の博多エリアと使用範囲が広がっています。尚オハ32000系客車の列車として特殊な使われ方をして有名なもので南紀直通の黒潮号がある。昭和8年(1933)11月より週末運行の準急列車として、阪和電気鉄道(現JR西日本阪和線)天王寺駅より紀勢西線紀伊田辺(12月には紀勢西線の延伸により白浜口)まで運行された黒潮号は、当時は他には鉄道省特急しかなかったネームトレインであり、また昨今のリゾートトレインの先魁でもある。オロ・オハ・オハフ等からなる3両編成を、阪和電鉄のモヨ100形(またはモタ300形)2両が牽引して阪和線内ノンストップ45分で走破し、和歌山からは8620形がやはりノンストップで白浜口まで2時間9分で走り抜けるという、当時の限界に挑戦したような高速列車であった。遅れて翌・昭和9年(1934)11月からは南海鉄道難波駅からも、同社モハ2001形2両牽引による同様の列車が運行された。当時は富士登山の臨時列車や軽井沢へ特別列車なども走らせており、後の国鉄に較べ鉄道省の方が余程営業感覚は優れていたように思う。最初の鋼製客車として鉄道史上ではよく知られたオハ32000系オハ31系客車だが、その航跡は比較的地味なものであった。しかし模型の世界では、旧型電気機関車やC51、C53に最も似合う客車として活躍できるように思う。

 


<オハ32000系を使用した列車編成例>

岡山発京都行 112列車 昭和9年9月
C51−88 ナハフ14100、オハフ、オハX3、オロ、スニX2
西ノ宮〜芦屋間撮影下り普通列車 昭和8年11月
C51−209 スニ、オニ26500、オロ、オハ、オハフ
姫路発大阪行 昭和8年11月
C53−28 オハフ、オハX2、オロ
大阪発大社行(大社急行)昭和9年
C54 オハ二、オロ、マロネ37900、オハ、オハフ
上野発新潟行 701、702列車 昭和9年11月

EF51−1 オハ、オロハ、スハフ34200、スシ37700、オハ、スロハフ31700、スユ二
名古屋発大阪行705列車 昭和10年7月
C53−42 オニ26500、オハ二、オロ、オハX4、オハフ
大阪発京都行310普通列車 昭和10年7月
C51−277 ナハフ24000、ナハ22000、オハフ、オハX5、オロ、スニ
関西本線拓殖発大阪行普通835列車 昭和10年7月
C11−74 オハ二25500、オハX4、オハフ
下関発東京行不定期急行 1010列車 昭和10年7月
C53−96 オハフ、オハX5、スシ37700、オロ、マロネ37300orマロネフ37500
姫路発京都行普通308列車 昭和10年7月
C51−5 オハフ、オハX4、オハ二
静岡発姫路行 昭和11年4月
C53−6 スニ、オロ、オハX4、オハフ
東京発大阪行37列車 昭和11年4月
C53−2 マニ36700、マロネ37350、オロ、スシ37700、オハフ、オハx5、オハフ、スハネ30100
名古屋発大阪行 昭和11年4月
C53−89 ナハ22000、オハ二、オロ、オハX4、オハフ、スハフ34200
下関発東京行 昭和11年4月
C53−88 オハフ、オハX5、スシ37740、オロ、マロネ37300、スニ
石山発大阪行 昭和11年4月
88639 スハ二35650、オロ、オハX3、オハフ
京都発広島行 昭和12年5月
C53−38 オハ、スニ、オロ、オハ・・・・
岡山発京都行 昭和12年5月
C51−22 オハフ、ナハ22000、オハX2、オロ、スユ
東京発大阪行下り東海道線各停列車 昭和12年5月
C55−7 オユ26500、スニ、オロ、オハX4、オハフ
姫路発大阪行 昭和12年4月
大鉄デフ付C51−162 オハフ、オハX3、オロ、オハ二、オユ二26350