国鉄 ED51/17(24号機)
     
ED51について
 1920年代世界の電気機関車はスイス・アメリカ・ドイツが一歩先んじておりイギリスは世界最高水準にあった蒸気機関車の全盛期で一部小型機をのぞいてはほとんど電気機関車は使用されておりませんでした。大正末期に輸入された電気機関車の中でWH、GE、BBC等を蹴落とし大量36輌も揃えられたのが最も性能が悪かったイングリッシュ・エレクトリック〜ノースブリティッシュ製 通称“ディッカー”。さすがアングロ・サクソン、日英外交交渉の落とし子の面々です。 しかし欠陥故障が多くまともに走らなかったこれらの機関車と格闘する事が当時日本の技術陣にまたとない学習経験を積ませることとなり誠に災い転じて福となる如し。輸入してから数年後には内部機器はほとんど国産品に取り換わってしまいました。貨物機としてED13(1030)×2が1924年に到着。ディッカー製の中でこの形式のみNBLでの工場がアトラス・パーク製となっており他のハイドパーク製と比べ車体断面が大きく豪快な印象を受けます。ED13を称して地味で有るとか陰が薄いとの論評は明らかに大きな誤りであると断言できます。後年ED17−27、28として仙山線でいかめしいスタイルでの活躍は実に魅力的なものがあります。1923年から25年にかけて17輌が輸入されたED50は1931年4月の中央線甲府電化により東海道線より中央線に移った際ギヤー比を改め貨物用に改造。有名なED17形の誕生となった。1924年に高速旅客用として輸入されたED52(6003〜6008)はED50と手摺り位置、エンドビーム形状、担いバネの枚数等が形態的に異なるのみで4輌がED18Tに改造され新宿、八王子間で貨物用として活躍。2輌はED52のままED51、ED56等と同じく新宿〜八王子間の旅客列車牽引に活躍。後にED17形に編入された。ED51(6000〜6002)は横浜での荷上げ中に関東大震災にみまわれ海中に転落。イギリスに戻して再製作された機関車。デッキ付、左右非対称と独特の魅力を有するものとなった。戦時中にED17にやはり編入された。1924〜25年製8輌のEF50は東海道線電化初期の女王的存在でEF53の登場、丹那トンネル完成前後まで特急、急行牽引に大活躍した。EHクラスを除くと21000mmと最長最大クラスの機関車で本家イギリスでも例の無いものであった。
さて今回のED51ですが海中転落時には6000〜6002の番号で分かる通り6003〜6008(ED52)と同形態で有ったと考えられます。1925年12月(大正14年)より東海道線東京口で使用開始。当初は電気機関車に対する信用が現場の不慣れ、また機関車のトラブル続きのために低く蒸気機関車との重連で使用されていました。その後信頼度も上がり電機での重連、そして目標であった単機牽引へと変わっていきました。牽引旅客列車は全車木造のホハ12000、ナハ22000系等です。昭和3年の形式称号改正前後にはオリジナル・スタイル6000からランボード取付、デッキ上の厳つい重連装置の撤去が行われ、また3号機には助手席側前面に小さな小窓が明けられました。なお6000、1はお召し列車用として整備された写真も残されております(東海道線時代ED51)。
1931年(昭和6年)の甲府〜八王子電化により多くの輸入電気機関車が中央線へ移動しましたがその中ED51の3輌は新宿〜八王子の旅客列車用としてED52、56,57等と共に活躍。新宿駅にてホハ、ナハ系木造客車、冬には暖房車を付けての写真が残されております(ED51中央線時代 1号機)。

1948年と9年には戦時中ゆえに貨物用にギャー比を落してED17−24〜26となったが25号機は新宿にて戦災に遭い廃車。残った2輌は戦後も八王子、甲府をねぐらに中央線で働き続けたが1959年久里浜区に転属、1970年12月の廃車まで横須賀線の貨物輸送に余生を送った(ED17晩年久里浜時代)。

ED18に続くEE〜ディッカーシリーズ 第2弾は左右側面非対称、デッキ付で人気のあるED51(ED17−24〜26)。実機の持つスキのない味わい深い形態を100%再現。まるで西尾克三郎氏の有名な写真がそのままモデルになったようです。車高、車巾はスケール通りに押さえ、その中でSカーブR450も通過。軸箱可動、全軸集電により超スローからスムースな走行をお楽しみ頂けます。台車はワイヤーカット仕上げで全パーツ別付け、ブレーキ・シュー、テコ関係もデッキ下内部まで完全に再現しております。3タイプは以下の通り細部に至るまでマニエスティックに掘り下げ徹底考証の上でディテール表現を致しました。しかし一番重要で時間を要した事はディッカー一族の中でED13と共にバランスの取りにくい上廻りと下廻りに一体感を持たせる事でした。


ED51東海道線時代 原形(プロトタイプは鉄道ファン誌1964年5月号14〜 15P写真他参照)
昭和2年以降の姿。前面助手席側窓は小窓、デッキ手スリはEF50と同様に高いもの。デッキ前部はクサリ、踏板付貫通路。エンドビーム真空ホース、母線ジャンパー付。側窓水切、下回り軸箱はEE原形、EE製ヘッドライト格子入り。EEパンタグラフ。マルーン入り黒。

ED51中央線時代 1号機(プロタイプは八王子での西尾克三郎氏撮影写真)
昭和7年以降の姿。前面助手席側窓大型化。それに伴い手スリ位置変更。デッキ手スリは低くなり貫通路踏板は廃止。エンドビーム真空ホース、母線ジャンパー撤去。側面取りハズシ外板にボルト表現。それに伴い水切取付。側窓雨どい大型化。軸箱は省型へ交換。EEパンタグラフ。昭和11年以降に取り付けられた屋上モニターはパーツ・パッケージでお好みにより取りつけます。塗色ぶどう色1号

ED17晩年久里浜時代 24号機(形態の良い24号機を選択)
正面ドア形状変更、デッキの一部を欠き取りデッキステップを斜め取付に改造。引掛式テールライト前妻に取付。デッキ前フック取付。解放テコ、排障器変更。ヘッドライト250W前照灯化。ワイパー位置変更。キャブインテリア標準化改造。屋上モニター、避雷器取付。軸箱戦後標準型化。砂箱改造。ジスコン棒取付位置変更、非常用発煙灯取付、ATS車上子取付、台枠に補強追加。PS14パンタグラフ、塗色ぶどう2号。

※ ケーディーカプラーは#38を別途ご購入ください。お取付の際は付属の2_ネジをご使用ください。