国鉄 ED50/52/17

ED50/52/17について    

ED50/52/17について

 大正末期に海外より輸入された数多くの電気機関車中で最大勢力を誇ったEE〜NBL。その中でもED50(1040形)は17輌と最も輌数が多く、ギアー比の小さな高速用のED52(6000形6003〜8)の6輌と合わせて輸入電関の中で最も親しまれた形式でした。輸入電関は3回に分けて発注されているが第一回大正10年度発注のED10、11、12、13に続きEF50を含むこれらディッカー機34輌は大正11年に発注され大正12年(1923年)春以降に次々と到着し大宮工場において組み立てられていった。この内6000形3輌(6000〜6002)が横浜での荷上げの最中に不運にも関東大震災にみまわれ海中に転落の末、メーカーへ送り返されデッキ付のスタイルとなり後にED51となったのは有名な逸話です。これらのディッカー機は試験運転時より欠陥が見つかり数々の改良の手が加えられたが新しく新設された田町機関庫に置かれ1925年12月(大正14年)の東海道東京口電気運転開始時より使用された。営業開始後も更なる改良が加えられ最初は蒸気機関車と組んで、その後はディッカー同士の重連で運用されたが1926年8月からED50、52の単独での牽引が実現している。このように東京−小田原、横須賀間の電気運転のパイオニアであったED50は昭和6年(1931年)中央線甲府〜八王子間電化によりギアー比を1:3.0から1:4.33と変更、ED17となり全機甲府機関庫へと配置されこの山岳線において重連で貨物輸送の任に当たる事となった。6輌のED52も八王子庫に移されED51と共に飯田町、新宿〜八王子の平坦区間で旅客運用に当たったが1、2号機以外は順次ED50同様ギアー比を変更、ED18へと生まれ変わった。戦時中にED18 4〜6の3輌がED17 19〜21に改番。ED52の2輌もED17へ改造、ED17 22,23となったがED18 3号機は改番されずに残され戦後1954年(昭和24年)台車を新製、ED17 17、16号機と共に2代目ED18となった。この為ED17 18は欠番となっている。戦後昭和25年から27年にかけてED形装備改造工事を請けたED17はその後も甲府、八王子に配置され貨物輸送に活躍していたがED60等新鋭機の登場により昭和30年代より豊橋、久里浜、作並へと配置転換され、甲府に残ったものは身延線のローカル貨物列車牽引に当たっていた。しかし昭和45年(1970年)より廃車されるようになり最後は昭和47年7月(1972年)に12、14、15、20の4輌が豊橋にて退役。その50年に及ぶ活躍の歴史にピリオドが打たれた

平成11年6月(1999年)のED18に始まりED51、ED13、EF50と続いてきましたEE〜NBLの血統シリーズも今回のED50/52/17で完結を見る事となりました。当店でED12キットを発売した頃(1989年)と比べて日本の社会状況も一変してしまいましたが私達の16番鉄道模型業界も大変難しい時期を迎えています。特に小さい割りに時間、手間、コストがEF級電関モデルと比べてそれ程変わらず、又実物図面が失われた事により私達が模型化図面を作成するのに要した時間は例えばED13、50、51、52共にEF50の数倍に達してしまう程デリケートで大変難しいものでした。はっきり申して仕事としては労多くして実りの非常に少ないプロジェクトでした。このようなプロトタイプに対する嗜好は実物を知る世代の高齢化とそれに伴う減少。味わい深い物、奥深い物に対する興味の減退等々恐らく5年6年後には企画そのものが実現不可能になるのではと危惧しております。更に韓国メーカースタッフとの長年に渡る協力と努力によりその品質が一つのピークに達した感が有り世界的に見ても現在最高水準の製品を提供する今が最後のチャンスだとの考えがありました。今後16番において恐らくこれらのプロトタイプが製品化される事は一部簡略製品を除いてもう2度とないでしょう。その為にも30年、40年後でも通用する(その頃までこのジャンルが趣味として残っていれば)ものを作ろうと、ある意味悲壮な決意を持って製作に着手致しました。各々の細部ディテールへの観察眼ではなく全体の印象把握に対する鋭い表現力をご鑑賞頂きそのバランス感覚の中で再現されたディテールをご覧頂きたいと思います。今回のED17は私達にとっても個人的に大変思い入れの強いプロトタイプでその思いのたけをこのモデルの中にギュウギュウに詰め込みました。昔懐かしい鉄道模型社、つぼみ堂製品からアダチさんの製品に至るED17の歴代コレクションの一つとして、又現存の最高水準の技術力でニュアンス豊富に創り上げたED17のモデルとしてお楽しみ下さい。

EE〜NBLの機関車ED50/52/17。そのシンプルなプロポーションの中から浮かび上がる力強さを見事に再現致しました。このシリーズに共通する車体断面形状、車体正面、側面の正確さ。スケール通りの狭い車体幅(32.5mm)ながらシェイプアップされた下廻り台車、エンドビームはガニマタ感皆無。車体帯上や窓枠等の上に入るダブル・エッチングによるリベットも大変美しく表現。これら全てにより全体が引き締まり小さく見える程です。台車はワイヤーカットによりエッジも大変シャープ。この台車をベースに精巧に型作られた数多くのロストワックス部品を取り付け狭軌感、立体感、カチッとしたシャープさ、重厚さで今までに類例の無いものとなりました。走行はステップが取り付けてあるにも関わらずSカーブR450通過。軸箱可動、全軸集電、ステンレスタイヤ、キャノンEN22モーター使用により超スロー時より強力な牽引力を発揮致します。ヘッドライトは1.5X球ミクロライトの定電圧点燈となっております。区名板、ナンバープレートはお好みのものをゴム系接着剤をご使用の上お取り付け下さい。ケーディーカプラーは#38を別途ご購入の上お取り付け下さい。

@  Type1 ED50 東海道線時代(昭和3年、形式称号改正時のスタイル)

真空、エア 両ホース、母線ジャンパー装備。東海道、横須賀線の客車列車牽引。ホハ12000、ナハ22000、オハ32000を牽引。
形式入りナンバープレート:ED501、3、12、15 区名札: 東 塗色:マルーン入り黒塗装 

A  Type2 ED52 中央線時代

昭和6年以降中央線、飯田町、新宿〜八王子間の平坦区間で使用。プロトタイプはED52−1号機。西尾克三郎氏の写真で有名なナンバー。側面取り外し外板外周のボルトと水切りが特徴。組立て式砂箱とエンドビームにED52の特徴があります。ED50では正面に付く昇降用手すりが側面に移ります。台車中央寄り砂箱を増設しますとED18−Uになります。ホハ、ナハ等旅客列車を牽引。
形式入りナンバープレート:ED52 1、6。ED18−6 区名札:八 塗色:ぶどう色1号
 

BType3 ED17 戦前中央線タイプ

昭和6年中央線電化で甲府に移って数年後名札差しがなくなり区名札差しが2連になった時代を再現。真空ホース、母線ジャンパー撤去。台車中央寄りに砂箱追加。エンドビーム部バッファー撤去後の丸穴埋め込み。側窓部雨ドイ取り付け。車体エッチングパターン別起し。   形式入りナンバープレート:ED17 2、10、16。 区名札:甲 塗色:ぶどう色1号
 

C  Type4 ED17 1号機 戦後タイプ(ATS取り付け後のスタイル)

1号機は同形態の5、8、14号ナンバープレートが入りますので4つのナンバーからチョイスできます。中央線、身延線での重連運転も再現。
ナンバープレート:ED17 1、5、8、14 区名札:甲、豊、八 

塗色:ぶどう色2号
メーカーズプレート:   ナンバー1.東芝 5.川崎 8.日立 14.川崎

DType ED17 7号機 現役時代末期

1966年以降の車体改造後の最晩年スタイルを再現しています。ナンバープレート ED17−7とメーカーズプレート取り付け済。塗色ぶどう色2号。ATS装備後。台車に入ったアングル補強がローカル線で黙々と働く古強者の感を醸し出してくれます。前面形状、側面ベンチレーター、台枠下に付くダクト等7号機の特徴を余すことなく再現致しました。1号機との重連や単機でのローカル貨物等が楽しめます。