国鉄 ED51/17(28号機)
     
ED13について
 ED13について  1920年代、世界の電気機関車はスイス・アメリカ・ドイツが一歩先んじておりイギリスは世界最高水準にあった蒸気機関車の全盛期で一部小型機をのぞいてはほとんど電気機関車は使用されておりませんでした。大正末期に輸入された電気機関車の中でWH、GE、BBC等を蹴落とし大量36輌も揃えられたのが最も性能が悪かったイングリッシュ・エレクトリック〜ノースブリティッシュ製 通称"ディッカー"。さすがアングロ・サクソン、日英外交交渉の落とし子の面々です。しかし欠陥故障が多くまともに走らなかったこれらの機関車と格闘する事が当時日本の技術陣にまたとない学習経験を積ませることとなり誠に災い転じて福となる如し。輸入してから数年後には内部機器のほとんどが国産品に取り換わってしまいました。その第1陣として輸入されたのがED13(1030)×2で1923年初めに日本に到着。ディッカー製の中でもこの形式のみNBLでの工場がアトラス・パーク製となっており、他のハイド・パーク製と比べて車体断面が大きく豪快な印象を受けます。前面の表情は縦長の大きな窓、中の広い正面ドア、側面もED50等と比べ縦帯が1本少なく、また側窓が設けられておらずやはり幅の広い側ドア、他のディッカー機と比べて片側で2列少ないポケット型ベンチレータがゆったりと配置されており重厚で朴訥としたものとなっております。実際運転整備重量が他のディッカー機より重い為、輸入直後にパンタグラフを一つ取り外して使用していた程です。台車廻りではブレーキ・シリンダーが英国製蒸気機関車よろしく台車内側に置かれていたのが特徴でしたが後に台車外側に移されました。使用開始は1924年秋。当初は東京機関庫、後に国府津庫に移り東海道線東京口、横須賀線などで使用されていました。戦後は八王子区、豊橋区等を転々とした後、昭和33、34年に仙山線の作並区に移り昭和44年の交流電化まで働いて一生を終えています。

輸入電関、模型化最後の砦 ED13 遂に陥落!
ED18、ED51に続くEE〜ディッカーシリーズ第3弾は初めての模型化となるED13(ED17−27〜28)。とにかく資料が無く全長、全高、車体巾、軸距離しか解らない簡略な図が一枚のみ。最初は独特の深く丸みのある屋根R形状で悩み、次に前面の窓、ドアの大きさや位置、その廻りのエッチングパターン のバランスで悩み、側面のバンドの位置とベンチレーターの高さ、横の間隔、側面窓、ドアの大きさや位置で悩み、屋上モニターの形状で悩み、高圧引込線形状で悩み、更に細かく改造されていったどの時代を模型化するかで悩み とにかく第一稿GOD図面が仕上がったのが1999年10月。でもフィーリングが違います。全て一からやり直し。第二稿図面も微妙にバランスが違います。またまた一からやり直し。第三稿図面によるサンプルモデルが 完成したのが2000年5月。これがやはりED13の持つ重厚感を捉えそこなっておりノイローゼ気味。とれいん誌にサンプルモデルを発表した後少し冷却期間を置いて第四稿に着手。側面の縦方向の寸法チェックを中心に 全てのエッチングパターンの位置を更に徹底して改訂。今度はかなり良い感じの図面が仕上がりました。ただ気になるポイントは側面縦方向に入るバンドの位置。1mm以内の誤差までに追い込んではいましたがこの最後の部分 が真横からの写真が無い限り100%解明する事は不可能になってしまいました。この時点で2000年の暮れも押し詰まっていました。ここで仙台の方より写真をご好意により入手する事が出来ました。今年2月始めに第五稿 を完成。これを入念にチェック。微妙な部分の仕上げを完全に行った後でやっと量産品の生産に掛かる事が可能となりました。さらにED17−28号機の鮮明な写真をやはり仙台所在のまったく面識の無い方よりそれも突然お送り頂きました。メーカーズプレートは多くの 写真では明確に確認する事が出来ず文献通り[日立改造]ですでにエッチングパーツの銘板を完成されていましたがこの写真により[東芝車輌]であることが判明。最後の土壇場でより正確を期する事が出来ました。その四角い車体の一見単純なプロトタイプ、模型ですが私達は今までに例が無い程の量のニュアンスを その中に込めました。そしてそのニュアンスを消さない様塗装の質感にも相当気を遣いました。真にムサシノモデル、こだわりの一品です。

◆ 原型(荒井文治氏、国府津にてED54、EF50とともに撮影)。
正面運転席窓、大窓原型。側窓なし。ブレーキシリンダー台車内に設置。但し助手席側側面手スリ、ステップ増設後。昭和8年頃 。ナンバープレートは1号機か2号機を選んで取り付けて下さい。当店製ワム1、ワム3500、スム1、トム1、5000、16000等を牽引させますと実に絵になります。

◆ 改造後(西尾克三郎氏、国府津にて撮影のED13 2号機)。
正面運転席窓、小窓化。側窓増設。ブレーキシリンダー台車外側移設。母線ジャンパー追加、砂箱交換他。昭和11年。

◆ ED17−28号機 仙山線(誠文堂新光社、機関車ガイドブック)
ホイッスルカバー、ヘッドライトひさし、スノウプロウ等装備の耐寒仕様。仙山線時代の1960年代中頃の姿を完全再現。 スハ32、オハ61等の客車を牽引。

※ ED13 2タイプはケーディーカプラー#38を別途ご購入ください。 ED17−28号機はケーディーカプラー#36を別途購入。但しシャンクをカットして使用します。お取付の際は付属の2_ネジをご使用ください。

EE(ディッカー)〜NBLの機関車における楽しみ方
初期の東海道線時代のED50、ED51、ED52に最もお似合いの客車はナハ22000系でしょう。昭和6年に各機が中央線に移った後はED50→ED17化によりワム3500、トム5000、スム1等の貨車がお似合い、時代に合ったワフかヨの発売が待たれます。ED51、ED52はナハ22000系ホハ12000系の混成編成を牽引する事になります。中央線の木造客車時代は戦後まで続きます。EF50(原型)は木造客車時代の1、2列車。昭和6年鋼製車による特急「富士」が素晴らしい組合せ。丹那トンネル開通後はナハ22000系、オハ32000系、スハ32600系混成による湘南列車牽引で決まりです(EF50改造)。ED18−Uはワフをしんがりに付けた2〜3輌の貨物小編成で深い味わいが出ます。