あら!カルト4

トフ小田急について 103、108,125(104在庫無)
今回は平成9年8月発売と、ちと古い製品を取り上げてそれにまつわるあれこれを。 ムサシノモデルが韓国で製品を製作するようになったのは平成6年のOゲージモデル都電6000形からでした。その後数年間はムサシノモデル疾風怒濤の時代で今考えてもよくもまあこれだけメインから外れたマニアックなプロトタイプをわんさか作ったもんだと自分でも感心してしまいます。それまで抑圧されていたものが一気に解き放たれたのですが、当時どの様に仕事をこなしていたのか無我夢中な事で良く覚えていません。ただ日本で製品作りをしていたころの癖でメインなプロトタイプではなくマイナーなものばかりがラインナップに並びます。日本では一介の小さな模型屋が売れ線物など出来る時代では有りませんでした。せいぜい古い西武や戦前の地味目な電車が作れる位です(でも皆深い味わいが有ります)。恐竜かっぽする時代の小さな哺乳類の様なものです。でも今思え当時でしか出来ないものを日本でも初期の韓国時代でも作っていたと思います。そんなこんなで日本時代に小田急、東武、西武の電関のキットを発売していたのでこれに合う車掌車を作ろうということになりました。関東私鉄車掌車3部作です。今から25年前はちょうどこれらの現車を見て取材することが出来るギリギリタイムリミットの頃に当たります。西武ワフは横瀬、東武ヨは杉戸、そして小田急トフは海老名のヤードの一番奥の片隅にぽつんと最後の1輌トフ104が残されていました。Oさん、Mさんの協力のもとKさんと私の4人で許可を得て床下、車掌室内を含め写真を撮り採寸を行いました。その数か月にこの小田急の貨物列車の象徴的存在で有ったトフは消えてしまいました。これを模型の上で正確に再現すべく作図を行いそのデータは亜進社に送られました。制作は当時亜進社のローリングストックをOEMで製作していた大貴(テーキ)社で当店製品はワフ等も担当しています。出来上がった製品の解説文は滝沢氏に依頼、そして夢がかない発売の運びとなりました。
発売前、東武、西武のものより人気が高いと思われていた小田急のトフ君。西武はプレミアムが付き、東武はコピー製品が出たのに比べ未だに少し在庫が有ります。何でと言いたいところです。で、可哀そうなトフ君に今一度スポットライトを?。

精密ロストワックスパーツがあって初めて細部に至るまでディテールを完全に再現する事ができます。真鍮板にこれらの部品を組み付けていく事はコスト的にも技術的にも不可能であります。アオリ戸の木の柔らかい質感はエッチングでは表現が難しいところがあります。

ほぼ実車通りのプロポーション、ディテール表現が再現されています。今から約25年前の製品ですがこれが現在の国鉄の貨車シリーズへと繋がっていきます。

当時から口差が無い人に韓国製だからロストワックスの塊だと訳知りに言われる事もありましたがそれは模型製造についての知識が全くないと言っているようなものです。今だにこれ以上の製品を見つける事は難しいと思います。

貨車の模型として極限までディテールを追求しています。そして木と鉄板の材質の差を模型として表現しているところも注目点です。

   

車掌室も取材をしたからこその作り込みで更にPPパーツとして網棚とほうきが付属します。

 

片側短軸台車を軽く振らせ三点支持としています。これら床下の表現も実地取材の成果です。

  

末期にはこのような使われ方もされています。

 

小田急の凸電ED1010の同型機に西武E21,岳南ED50(元上田温泉電気デロ300)が有ります。これを西武E51よろしく現在の技術でもう一度制作してみたいと考えています。
小田急、西武の機関車のパンタグラフ廻りの写真等ございましたら是非ご一報いただきたくお願いいたします。トフ君に見合った品質でコンビを再現したいものです。